昨年、所在不明高齢者、家庭崩壊、児童虐待、孤独死、といったニュースを数多く目にした。
その象徴に2010年度の流行語大賞には、無縁社会という言葉が登場し、トップテン入りした。
NHKの番組が2010年一月に放送した『無縁社会ー無縁死三万二千人の衝撃』とその後販売された本は現在の日本が抱える問題の核心をついた。その衝撃は日本中に大きな波紋を与えた。
現在、東京、大阪、福岡、この日本で都会といわれる場所で暮らす人々はにっとって縁、絆といった価値観が変わってきている。その縁や絆が薄れた彼らにとって帰る場所、故郷との繋がりさえなくなっている。都会だけではなくだけではなくその広がりは日本全体を覆っている。
戦後の日本人は田舎から都会に出てきて、会社だけのコミュニティをつくり、近所とのつきあいを断った関係をつくりあげ、田舎の因習的な関係を拒否し、核家族に自由と幸福をもとめるライフスタイルを築いていったのです。そしてお金と仕事だけで人とつながる関係をつくり、近所には知り合いのいない街をつくりあげたのです。会社から離れると人はたちまち孤立した個人として放り出され、だれともつながりのない世の中に住まうことになりました。
たしかに近所とのつき合いはうっとうしいものがある。私は高校生まで田舎に住んでいました。
近所の人に『どこどこにおったやろ』など言われた事がたびたびあり、知っている人が至る所にいて、監視されているような息苦しさがありました。しかし、卒業して都会に出てくるとそのような息苦しさはなく、自由な感覚になりました。まさに私も自由と快適さを求めた現代の日本人です。
隣人はどんな人か知っていますか?住んでいる周囲にどのくらい知っている人がいますか?
先進国の社会的孤立を比較したデータでは、家族以外に人と会う頻度をあらわしたものでは日本人は16%ほどの人が人と会わないとされており、ほかの国に比べてダントツで一位だというデーターがあります。アメリカやオランダ、イギリスなどは6%~2%におさまっている。日本がいかに孤立した無縁社会になっているかということです。また日本の自殺率は先進国中でワースト2位です。そして、ここ最近、「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」などが急増しています。引き取り手のない遺体が増えているのです。
その原因は、日本社会があらゆる「絆」を失っていき、「無縁社会」と化したことにあるというのです。かつての日本社会には「血縁」という家族や親族との絆があり、「地縁」という地域との絆がありました。日本人は、それらを急速に失っているのです。以前にもTHE MAGAZINにも取り上げられた『直葬』というものがありました。直葬とは、通夜も告別式も行わずに遺体が火葬場に直行し、焼却されることです。家族葬、密葬から、今は本当に直葬が増えてきています。その背景はいろいろあるのでしょうが、日本社会全体が「無縁化」していることもその一つでしょう。
人間関係が希薄化し、コミュニティが崩壊しつつあるのです。以前の人間関係というのは、地縁、血縁、学縁があり、社縁もありました。人間は、さまざまな縁の中で生きています。しかし、今、そのすべてが希薄になってきているのです。同血縁や地縁といった旧来型の縁だけでなく、Twitterなどに代表されるネットでつながる縁、NPOやサークルでつながる縁など、縁の形が変化しつつあると指摘されています。
人間というのは、血縁と地縁の中で生きている存在であるという基本を忘れてはいけません。
NHKが発刊した無縁社会のキーワードは「迷惑」という言葉ではないかと思いました。
みんな、家族や隣人に迷惑をかけたくないというのです。「残された子どもに迷惑をかけたくないから、葬式は直葬でいい」「子孫に迷惑をかけたくないから、墓はつくらなくていい」「失業した。まったく収入がなく、生活費も尽きた。でも、親に迷惑をかけたくないから、たとえ孤独死しても親元には帰れない」などすべては、「迷惑」をかけたくないがために、人間関係がどんどん希薄化し、社会の無縁化が進んでいるように思いました。この『迷惑をかけたくない』という言葉に象徴される希薄な"つながり"。そして、"ひとりぼっち"で生きる人間が増え続け、人間関係がおかしくなり、内にこもるようになり孤独死、児童虐待、無差別殺人あらゆる事件につながっているように思います。
NHK報道局・板垣淑子氏は、次のように述べています。
『そもそも"つながり"や"縁"というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものではなかったのだろうか――。』我々日本人は迷惑をどこではき違えてしまったのでしょうか。
参考資料
NHK無縁社会プロジェクト取材班 無縁社会 『無縁死、三万二千の衝撃』
text by GM