ことの発端は、中国にある精密機器の受託組み立て工場で連続飛び降り自殺が起きていることが露見したことによる。その時点で自殺者は8人だったが、その後も自殺や自殺未遂が相次ぎ、最終的には12人に達した。このニュースは中国国内はもちろん台湾、香港でも大きく報道され、それまでにこの会社が世間から持たれていた「低賃金長時間の過酷な労働を強いる企業」というイメージによる批判に一気に火が付き、重大な社会問題と化した。
もともと台湾に工場を置いていたこの会社は、低コストの受託組み立てビジネスで成功を納めるために、賃金の安い中国本土に工場を置くしかないと判断。1990年代後半から広東省、江蘇省を手始めに中国各地に工場を展開。今では中国全土で82万人を雇用し、輸出額では中国最大の企業となっている。sonyの「playstation」や任天堂の「DS」「Wii」などゲーム機や携帯電話機を得意とし、appleのスマートフォン(高機能携帯電話機)「iPhone」も受託生産している。最近では世界中の関心を集める多機能携帯端末「iPad」の生産を受託していることでも話題となった。
最大の競争力は低コストだけに、工場の現場管理は非常に厳しく、ミスの多い従業員の解雇はもちろん、納期に間に合わせるための長時間残業が常態化し、従業員には強いストレスがかかっていた、といわれている。iPhone、iPadなど話題性のある製品を組み立てていたこともあり、秘密保持や品質面でのプレッシャーも強く、自殺者が続出した原因もそこにあるのではないか、と専門家は見ている。
これらの批判を受け、会社側は待遇改善に動き出した。その柱が給与引き上げで、深圳工場で基本給を33%引き上げたほか、深圳以外の中国全土の工場でも30%以上の賃上げを実施。これを受けて従業員の平均月給は2000元(約2万7000円)を突破。これに残業手当などがつけば、さほど熟練度を必要としない工場作業員でも3000元近い月給をもらえることになる。これは、先進国や中進国に比べるとまだまだ低い水準だが、ベトナムやインド、インドネシアなど、中国より賃金が安くインフラもある程度整った周辺国と比べれば非常に高額で、更にカンボジア、バングラデシュなど、賃金が中国の半分~4分の1以下といった国もアジアには数多く存在しているのだ。低賃金を競えば、中国は今や完全に負け組となってしまったのである。
また、先頃の尖閣諸島沖での事件に端を発したレアアース(希土類元素)問題や、ことあるごとに噴出する中国国内でのジャパン・バッシングや日本製品のボイコット運動など、日本の企業もこうした現実を前に、どのような中国戦略を練っていくべきか、経営陣には頭の痛い問題である。しかし、リスクが高いからと言って中国経済を避けていては、グローバルな競争力を失うことになりかねない。
例えば衣料業界では、今年9月下旬から中国で製造した日本向け衣料の通関検査が急に厳しくなり、検査にひっかかる商品の比率が一気に10倍以上に跳ね上がった。タイミングは尖閣諸島を巡る対立が表面化した時期と重なる。こうした突発的問題の影響がいつまで続くのかは不透明だが、より深刻なのは中国において日本向け衣料生産が細る構造変化が進んでいることだ。
中国では重工業やサービス産業に労働者が流れ、労働集約的な色彩が色濃く残る縫製業の人手不足は深刻で、工員が集まらずに廃業を余儀なくされる工場も後を絶たない。その一方で中国での衣料製造需要は急拡大。欧米衣料専門店やスポーツメーカーが数百万着の巨大な発注を次々としているうえ、中国国内向けの衣料需要の拡大も止まるところを知らない。発注量が小さい、納期が短い、単価も安いと「負の三拍子」がそろった日本向け衣料製造は、増々敬遠されるという流れだ。
中国への過剰依存脱却をいち早く打ち出したUNIQLOは最近ジーンズなどで「非・中国製」商品が目立ち始め、今秋冬は看板商品「ヒートテック」でもベトナムに続き、バングラディッシュでの生産を始める。それでも生産地の国際化のスピードは想定に比べ十分とはいえない模様だ。今後、欲しい商品を調達するには納期や価格面で譲歩を迫られる可能性が高く、中国以外の生産地の開拓で具体的対策を講じていない企業に残された時間の猶予は少ないと言われている。
繊維や雑貨などの労働集約型産業の工場はすでに中国から撤退し始めているが、電機・電子分野の組み立て工場の脱出も始まるとなれば、中国にとっても脅威となるだろう。何故なら中国は、より付加価値の高い産業で勝負できる分野をさほど持っていないからだ。一方台湾系EMS(Electronics Manufacturing Service)も中国本土でこそ同胞としての強みを労務管理、部品調達、物流などで発揮できるが、インドやインドネシアでは難しい。前述の賃金大幅引き上げは「世界の工場」としての中国の幕引きになりかねない問題なのである。19世紀以降、同じ冠を得たイギリス、アメリカは大量生産の拠点としては衰退、日本も弱体化の瀬戸際にある。中国が同じ道をたどるのか、それとも賃下げに踏切り、「世界の工場」を死守するのか、何れにしても中国指導部は難しい判断を迫られている。
更に「世界の市場」としても十分に魅力的な中国では、個人の生活水準も上がっており、以前の日本に見られた中産階級なる所得者層も増え始めている。日本全国の観光地でも、今や中国人観光客は大切なお得意様になりつつあり、先の問題で日本への社員旅行を見合わせた中国企業からの受注額は、旅行代理店の存続にも関わる莫大な売上となっているのだ。また、寿司をはじめとした日本食は中国でもブームで、世界中からマグロの乱獲でバッシングを受けている日本は、今後、食材確保の面でも巨大市場・中国と戦わなけれならない。更にオリンピックや万博を経ていよいよ影響力を増しつつあるアジアの巨人の動向は、大企業ならずとも気になるところだろう。
必要なモノ以外にも「欲しい」モノの需要が増しているこの国の消費のポテンシャルは、想像しただけでも驚異的だ。始まったばかりだった21世紀も、はや10年代に突入し、未だ脱出の兆しが見えない日本経済は、ややもすれば中国市場に飲み込まれてしまう可能性も十分にあり得る。
そういった意味では、我が国に於けるデフレの長期化は、他ならぬこの日本を「工場」化へと誘っている様に思えてならない。
[Reference]
日本経済新聞
日刊工業新聞
text by wk