昔々、江戸時代では、大名行列の際、だれもがその長い行列を乱したり、ましてや前を横切ったりするととんでもないことになってしまいますが、当時でいう「取り上げ婆」(現在でいう「助産婦さん)のみ、大名行列の前を横切れる、という出産の重さ、新しい命の重さを受け取れます。
江戸時代では医療がまだまだ未発展のなか、出産時における新生児の死亡率がたかく、無事に出産出来たからといって安心は出来ません、お七夜までは、赤子の魂がどこかに連れて行かれないように、母親は横になることはおろか、眠ることすら許されませんでした。その後も水疱瘡や、はしかなど現在も当たり前のように起きる感染症を含め、子供の命は常に危険にさらされています。全死亡率の70%以上を占めるのが乳児の病死でした。
明治10年に来日したエドワード・S・モース(大森貝塚を発見した日本考古学者の父)は「世界中で日本ほど、子供を大切に取り扱われ、子供の為に深い注意が払われる国は無い。子供達がいつも笑っているのを見ると、彼らは朝から晩まで幸福であるらしい」と語っている。
「子は10年のあずかりもの」といって、子供が10歳になるまでは、天からのあずかりものという概念であった。それだけ子供は世間一般からみると、重宝されており、立派な跡継ぎ、これからの日本の伝統を受け継いでいってもらう財産でもあるのだと受け取れます。
それ故、激しい叱責や体罰がおこなわれている様子がほとんどないのに、みな聞き分けがよく、利発で礼儀正しく、貧しい家の子供でさえ読み書きができたそうだ。そして、実学としての「しぐさ」の学習も重視していたようです。 日常茶飯事の振る舞いや朝顔の水やりから自然のメカニズムや自然との共生を取り扱うなどのこともしていたようです。それは、長屋という家の構造や、町全体の仕組み、寺子屋という学校、なにより人々の協力、町ぐるみで大切に子供を育てていました。
「日本の子供にとって天国のような国」と賞賛もされており、大人達は、子供によく遊ぶことを推奨して、集団の遊びの中から競争心、協調性、助け合い、思いやりの心などを学ばせました。
さらに、「学ぶ」の語源が「まねる」にあるように、大人の行動を真似させ、しつけることにより、社会性を身につけさせていました。江戸時代では、芸事に(男の子は商業に就くなら大工や商業、女の子は三味線、琴、舞などのお稽古にかよっていた)秀でていると、より身分の高いお屋敷に奉公にあがれるかもと知れず(その最高潮が大奥です)、奉公を終えて戻ってきたときにには引く手あまたとなるため、娘をいい家に嫁がせたいと願う親は、特に教育を熱心にしていたそうです。そういった教育熱心さも、最近ではまた違う方向にむいているのでは無いのでしょうか??
そして、ここ最近の育児事情がかなり乱れており、育児放棄をして、餓死させたりと、自分自身の分身を見捨ててしまう。いつから人々の心がねじれてきたのでしょうか、、、。
そもそも、「愛情とは何なのかと」考えてみると、「子を持って知る、親の恩」という言い伝えがありますが、親になって初めて親のありがたみがわかり、感謝する。といった話はよくききます。
しきたり、教育、慣習ということは、日々の積み重ねであり、厳しさの中に暖かさが必ず有り、それが真の育て方なのではないのかなと、、、。
ただ優しく接することだけが教育ではないのだと言うことを感じ取れます。
感謝して、命のありがたみを噛み締めて生きる。そうすれば、現在ニュースで飛び交っている問題である、育児放棄や、少子化問題も現在よりも減っているのではないかと思います。何事も豊富な世の中に、一つだけ欠けてしまった物が、そういった「ありがたい」と思う心なのではないのでしょうか。
いちばん大切な、素直なことを当たり前に行動できるという気持ちはとても大事なことで、江戸時代の人たちも、こういった思いを伝えていって欲しかったのではないのでしょうか、、、。
text by noku