世界には、一つの国に必ずと言っていいほど母国語が存在する。
そして、自らの国を大事にするポリシーを持って、母国語を話す。
その言葉の幹は受け継がれていくが、やがて消滅していく。
何億年という地球のなかで、失ってはまた新しく生まれ変わり、また新しい物が誕生する。輪廻する地球。
しかし、失うというのは、そんなに簡単であっていいのだろうか、、、。
現在、大国のロシアと中国に挟まれた、大草原が広がるモンゴル、その公用語であるモンゴル語の消滅危機問題がある。
モンゴルでは東西対立といった対抗意識がモンゴル人同士の中で勃発している。
西モンゴルでは、遊牧民である移動型の人種が、皆でまとまり一つの塊のように、ともに力を合わせて暮らしている。モンゴル語としての方言は特になく、彼らが話すのが純粋なモンゴル語である。対して東モンゴルは定住型の農耕地帯である。生粋のモンゴル人としては、やはり遊牧民なのだと...。
農耕している東の人たちは遊牧もせず何故モンゴル語を喋るのか、それも漢語のなまりが入り、かなりの方言化したモンゴル語を使うことから、お互いににらめっこをしている。
昔々、チンギスハーンがモンゴルの領土を、中国北部、中央アジア、イランと次々に征服、巨大な帝国を築き上げた。それはそれは、とてつもなく大きな国へと発展した。
大地は進化し、人も進化し、時代が進化していく。
更に昔にさかのぼると、ペルシャ帝国や古代ローマ帝国を生み出し、モンゴルにも影響が及ぼされたヨーロッパ時代。恐ろしく強烈な戦力で遊牧民を守り誇りを持ち戦い、巨大な帝国を築き上げたチンギスハーンによる時代。そしてロシアなどの北方民族による文化の融合、最近では中国共産党(漢民族)による民族統合の動きによって、領土争いも含め、沢山の問題を抱えており、そのせいか、独立体制をとりモンゴルと内モンゴルの二つに分かれてしまう。
長い歴史の中で、ちょっとした事が大変な事態に変化してしまい、昔から守り続けてきた生粋のモンゴル人としてのアイデンティティーが今にもなくなりつつある、、、。
モンゴル語が消滅してしまうという事は、これまでのモンゴルの歴史を綴ってある本などが、解読不可能になり、歴史自体を消されてしまうのではないかという不安しか感じ取れない。
例えばこの問題を、日本に置き換えてみましょう。
日本の大都市、関東と関西の東西対立で、どちらが日本の母国語なのかと、日本人が内々で、自分たちが生まれた町の言葉や方言をめぐり、お互いが争い、傷つけ合い、内乱紛争になり、もし関東が勝利を決め、「さあ、これから日本列島は、全国標準語で統一します。」と条例が決まり、もともと方言である関西、沖縄、北海道、九州、東北、それぞれのアイデンティティーやプライドがあるにもかかわらず、勝手に標準語制度がつくられ、それはきっと憎しみに変わり、その憎しみが日本語という言葉自体なくしてしまうおそれがあります。
人々が育った環境、受け継がれてきた意思、哲学。
言葉自体に憎しみが込められる。権力争いで母国語がなくなり、それがどれだけの悲しさや、むなしさを産むのだろうか。
モンゴルでの歴史は、これからも綴られて行くことであろう。モンゴル人としてのアイデンティティーを大事にする心、そして母国語を大切にする心を、これからも受け継いでいってほしいと願うばかりだ。
参考資料 wikipedia
TEXT BY NOKU