一歩違う世界に足を踏み入れると、みた事もない現実が目に映像として飛び込んでくる。
未だ、貧困と言う言葉はなくならず、格差社会はつづく。働く環境はあるのだが、働く量とお給料の割合が全くバランスがとれず、本当に一日にご飯を食べれるかどうかの環境。逆に全く働く環境がなく、犯罪や物乞いに走る人たちもいる。皆、立派な人間で、堂々と生きておなか一杯の温かいご飯をほおばり家族と笑って幸せに暮らせるのが出来るはず。
バングラデシュに行くと本当に小さな子供達が観光客相手に物乞いをし、生きるために行動している。
生きる為には働く事、物乞いをしているだけでは、そのときは幸せだが、またすぐにお腹が減り現実が飛び込んでくる。
その現実を、山口絵里子さんはこう語る。
「もっと出来るのに、もっと頑張れるのに頑張れるチャンスがないとか、それを発揮出来る舞台がない人たちがいると思ったんです」
直球な答えで、60年前から始まっているフェアトレードとおんなじ考えだ。
皆、貧困な国を救いたい気持ちもある。ただ、皆がそんなに海外で彼女のような行動をとれる訳でもないし、莫大な時間とお金がかかるし、言葉も通じない。
それだけ大変で、覚悟のいるプロジェクトを、最も貧困な国と言われるバングラデシュに一人でも多くの人たちを助け合えるよう、彼女は体一つで飛び込んでいきました。
バングラデシュの語学学校を通いながら、街を偵察していると「ジュート」(コーヒー豆をいれる袋などとても頑丈で優しさを感じ取れる生地)というバングラデシュ名産の生地を見つけ、この生地を鞄に使ってなんとかビジネスに繋げれないだろうか、そう考えた。
彼女は体一つで出てきた。 もちろん全て一から、一人で一緒に鞄を作ってくれる工場を探したり、せっかく慣れたと思っていた工場にパスポートをとられ夜逃げされたりなど、信用できる事が一切なく、毎日彼女は苦労の連続で涙を流しぐっとこらえていた。
貧困な国こそ自分たちで働く意味、お金を稼ぐということを、どんな事なのかをはっきり解らしてあげる。そしてこれだけ一生懸命働くと、これだけのお金がもらえるんだよと頑張りが帰ってきて、そしたら結果にでる、笑顔になり、感謝されたり、褒められる。
そんな些細な事が感動に繋がっていくし、なにより手に職がつき、その仕事は一生分の自信えと繋がるのです。そしたらその技術が発展してどんどん工場がおっきくなり立派な先進国えと発展し、自分たちで稼げるように、自然にご飯を食べられる環境、貧困の世界がなくなる。
ただ支援するだけじゃ何の価値もないし、存続が不可能であると、彼女は感じた。
なんにも解らない所になんにも知識のないまま現地に足を運ぶという行為は強靭な強い思い、この国を支えられたらと言う想い。それは想いだけではなく現実にかえなければ意味がない。だから彼女は自分自身が歩き続ける。
最近よく目に耳にするフェアトレード。
今、日本では「ナチュラルローソン」、大きい企業では「スターバックス」沢山のコーヒー豆をフェアトレードで輸入している。
日本ではまだあまり普及はしていないが、徐々に利益を得るようになってきている。
そして、フェアトレードというのはアンフェアな貿易をなくしていく、みんなフェアにお金をもらえる環境、嘘のない間柄。信用あっての職場。
そう自分自身が働き、今までだったらほんのちょっとのお給料で全く割りにあわない内容で取引をされていた。そうすると働く事にさえ苦痛に感じてしまうが、フェアトレードという制度は「援助ではなく貿易を」という考えで今中南米、アフリカ、アジアの58カ国で約150万人の生産者、労働者がさらにその家族を含めると推定約750万人がフェアトレードによる利益を得るまでになりました。そしてフェアトレードの大きな特徴としてわかるのが生産者との「顔の見える関係」と言えるだろう。
大抵の生産者と消費者の間には双方の国のNGOが取引の窓口として対応している働く事の楽しさが、自分自身の国を守る。ひとりひとりの命を大切にする大事さ。
そんな一人一人がたしかな成長を遂げ、人々に勇気を与え、皆が仕事に取り組める環境を作っていくと言う 山口絵里子さんの強く願う気持ち、そしてすべて自分自身の足で動き、生産者と対面し直々にお話をし大惨事も次々に柔軟な対応で解決していくという勇気。
工場のスタッフも、彼女の人柄、社長としての存在、信頼、好きという気持ちがあってこその仕事。
何でも苦になっているようじゃとてもじゃなく続かないのだろう。
結局言いたい事は、人と人とのつながりを大事にすること、そしてなにより信頼感を持ってもらう。人間信用してもらわないといい気持ちにはならない、気持ちのよい職場にする、そしてこれからの未来に大きな変化が起きるよう信じ続ける。
いつかきっと救われる。
そんな日が来ることを今日も彼女は願っているのだろう。
山口 絵理子
慶應義塾大学総合政策学部卒業。
ワシントン国際機関でのインターンを経てバングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程に入学。
在学中大手商社のダッカ事務所にてインターンとして勤務。
夜間の大学院に通う。
帰国後ビジネスを通じた国際貢献を実践すべく、2006年に株式会社マザーハウスを設立
TEXT BY NOKU