反逆歌として歌うことを禁じられた歌がある。その歌は、希望の歌であり、自由を得るために、人々に愛され歌い継がれた歌でもある。
そして、ついに、その歌は自由を勝ち取り、自由の象徴として一国の国歌となった、、、
~ 神よ、アフリカに祝福を。~
神よ、アフリカに祝福を。
汝の栄光を高く掲げたまえ。
我らの願いをかなえたまえ。
神の子である我らを祝福したまえ。
神よ、我らのもとに介在し、全ての争いを終わらせたまえ。
そして我らと国を守りたまえ。
南アフリカを守りたまえ。
南アフリカ。
南アフリカ。
蒼き空の彼方から、我らの海の深みから、永久に変わらぬ山々から、こだまが響き渡る。
皆を呼ぶ叫びが響く。
やがて我らは団結して立ち上がる。
自由のために力を尽くし、共に生きていこう。
南アフリカ、この我らの地で。
この歌は黒人解放運動で黒人たちに歌われた、『神よ、アフリカに祝福を』とアパルトヘイト時代の政府の国歌『アフリカの叫び』を編集し、一つの曲にすることで、民族が和解し調和する国への願いをこめた。現在の南アフリカの国歌である。
背景には、『人類に対する犯罪』とまで言われた、白人により行われた、アパルトヘイト(人種隔離政策)がある。この政策によって、あまりにも多くの人々の血が流れ、多くの人々の未来が奪われた。
奪われたのは命だけでなく、彼らの、伝統、文化、誇り、自立心、人間としての権利、更に黒人(非白人)であるという劣等感を徹底的に植え付けた。住居、教育、就職、結婚、はたまた恋愛まで、日常生活のありとあらゆる事まで、法律によって、国が非白人を差別した。その劣等感がアパルトヘイト廃止後の今もなお人々の潜在意識の中に根強く残っている。
遠い昔の話ではない、1991年、ほんの少し前まで実際に行われていたのだ。
現在、法律がなくなり、すぐにでも平等な社会になると誰もが願っていたはずだ。
しかし、依然として白人と黒人の経済格差は埋まらず、黒人社会内での貧富の差など数多くの問題が生じている。黒人の中には、大きい富を掌握した人もいる。それに対し、ほとんどの黒人層はスラムでの生活から脱却出来ず、その数は増加の傾向にある。希望に満ち、夢に描いた新しい南アフリカ、その期待とはうらはらに廃止前と変わらない生活への不満や不安、白人への怒り恨みもあり、アパルトヘイトの反動から、白人への不条理な暴力や白人の土地への侵入、金融機関での白人やアジア系に対する不利な融資など、逆差別とも言える事件などが発生している。
白人と黒人(非白人)の溝は埋まるどころか、複雑により深くなったように思う。
黒人同士でも自分の利益のためだけに争いが起こる。
南アフリカ最大の都市、ヨハネスブルグは世界で最も危険な町のレッテルを貼られるほど凶悪犯罪が多発し(日本の110倍)、社会問題になっている。
歯を食いしばり、明日への希望を持ち、平等な社会を夢見て、闘い、死んでいった人々は、このような南アフリカを望んでいただろうか。いや、決して望んでいなっかたはずだ。
世界には今、何百という国がある。そしてその数だけ国歌がある。
一つ一つがその国の歴史や願いが込められた、国民のアイデンティティーの証として重要な役割がある。国歌はあらゆる国際舞台で、国の誇りを胸に歌われます。
2010年、アフリカ大陸で初めて開催されるFIFAサッカーワールドカップ南アフリカ大会。
様々な問題を抱える南アフリカ、彼らが背負う悲しい過去を、今一度知る機会になる。
同じ人類として、私たちも一緒に願おう彼らが願った平等な世界になる事を。
黒人意識運動の活動家のスティーブ・ピコの伝記を映画にした『遠い夜明け』にこんな台詞がある。
『最大の敵はある種の人間が、別の人間よりも優れているという考え。
その考えを殺す事は白人だけの仕事ではなく、白人に頼る習慣を捨て、黒人である事の誇りに目覚め、子供に黒人の歴史を教え、我々黒人の持つ伝統と文化を教えれば白人の前での劣等感から解放される。
そして対等な立場で彼らと向かい合う。
闘いを採るなら手を広げて言おう。
我々は住む価値のある南アフリカを建設する、白人にも黒人にも平等の国を。
美しい国土とそこに住む我々のように、美しい南アフリカを。』
text by G,M