「007/慰めの報酬」で元ネタになったお話。この映画が公開される迄あまり知られずに起きていた出来事で水を巡る新しい戦争が起きています。
水はいわずと知れた生命の源であり我々が生命を維持していくのには無くてはならないモノである。例えば浄水されていない水、汚染、腐敗された水を人々が飲むとどうなるかというとコレラや腸チフス、サルモネラ中毒等で死に至る場合が有るのです。
このような浄水していないお水を飲まない為に人々は浄水施設を作り上水道というもので家庭に安全な水を運んでいます。いまや当たり前の様にひねると蛇口から出てくる水、当たり前の様に壁にくっついている水道。
この「水や水道」は誰の物なのでしょうか?
IMF(国際通貨基金)と世界銀行は世界の途上国に、財政健全化という名のもと削減策と民営化という強制を迫りこの民営化の中には生活基盤のなかにとりわけ必要である上水道事業等の民営化等を推し進めてきました。上下水道事業は、多大なインフラ投資を行うため電力事業やガス事業等と比較すると後の金利負担が大きい事も特徴でありそのためインフラ初期投資は公共、運営については民間でという風潮が世界的趨勢となっており、その初期投資資金の貸し付けをIMFや世界銀行等が政府等に行い、G7(先進七カ国)諸国の援助を受けた一握りのグローバル企業が上水道の事業の民営化運営を行い巨大な利益を収めてきました。
南米の中央に位置するボリビアもその一例でした。ボリビアは南米でも最も開発の遅れた国であり豊富な天然資源(近年では大ガス田も発見されています)を持つが資本主義的には貧しい国であり「黄金の玉座に座る乞食」と形容され、素晴らしい自然が広がりチチカカ湖やウユニ塩原などがありアンデスの恩恵を受ける国です。
この豊富な天然資源を持ちながら、建国以来政治的に不安定なため天然資源の開発の遅れやクーデターが起こりやすい政治文化のバックグラウンドに世界のグローバル企業からの利権をつけいられることになります。
1999年世界銀行はボリビア政府にボリビアの3番目に大きい都市、コチャバンバ市の市営水道会社SEMAPAを民営化する計画を推し進めました。理由は民営化すれば適切な料金で適切なサービスを行え、さらに600万ドル(当時日本円での7億円)の多国間債務(いわば借金)を免除するという好条件を付けてきました。
ボリビア政府は「飲料水及び衛生法」という法律を作り補助金を打ち切り、水道事業は公共事業であるSEMAPAから民営化されました。そのやり取りの裏に映画「007/慰めの報酬」の様な政治的リベートやキックバック等が有ったかどうか定かではないにしろ、民営化された会社はIMF (国際通貨基金)と世界銀行の薦める米国最大の建設会社ベクテル社の子会社アグアス•デル•ツナリ社が運営を行いました。ここから「ボリビアの水戦争」が始まったのです。
もともとインフラが完璧に整備されておらず高かった水道料金はさらに200%の値上げが行われ最低月額給料がが$100(当時約12000円)を満たない町で水道の請求額は$20(当時約2400円)に達したのです。(ちなみに日本の物価で4人家族平均の水道料金が1ヶ月約3000円~3500円)
このボリビアでは20ドルは5人家族が2週間食べていく食費に換算されます。
もちろん、支払えない人が続々と出てきます。この民営化されたアグアス•デル•ツナリ社は支払い不能者に容赦なく水の供給を停止し始めます。さらに水不足解決にとコミ二ティーや協同組合が掘った井戸までもアグアス•デル•ツナリ社の管理下に置かれ井戸水の安い料金までも引き上げらる事になりました。人間は命を維持していくには水を摂取していかねばなりません。水道水、及び井戸水の料金を払えない人々は浄水されていない水、汚濁された水、腐敗水、等を飲む選択しか残されずその結果、水道料金を払えない貧困層の人々はバタバタと倒れ死に至り、尊い命が次々に奪われていきました。
水道料金が値上げされた翌年の2000年1月に「水と生活を防衛する市民連合」が結成され、大衆の運動により市は4日間機能停止。翌2月には市民連合は「水は神からの贈り物であり商品ではない」というスロガーンを掲げ平和的デモを行いそれに賛同した何百万人の国民はコチャバンバ市に行進。ゼネストが行われ政府は水道料金の値下げを約束。
しかし政府は水道料金の値下げの約束を守らず4月にIMF(国際通貨基金)と世界銀行、米州開発銀行に圧力をかけられ戒厳令を引いて抗議を沈静化を行います。この沈静化とは抗議する市民や活動家を逮捕し9名を殺害し、約100名がひどい負傷を受け、数十名が逮捕され、メディア規制が引かれるという。信じられない弾圧が行われました。しかしこのような不当な弾圧は続くはずがなく、IMF(国際通貨基金)と世界銀行に盲目的に従ったバンセル政権は転覆しかけます。
結果、市民は勝利を手に入れます。40年間の民営化の契約は破棄され水道事業は公共事業SEMAPAの手に開発費の借金付きという条件で戻り。インフラを整備した借金は市民にのこりさらにボリビア政府は契約破棄料の2500万ドル(およそ25億円)の賠償金を要求されます。
「水と生活を防衛する市民連合」は自由市場改革とそれに伴う資本主義経済至上主義の構造調整政策に対する闘争の世界的シンボルとなり、その足跡は南米地域に他の都市部に影響を多いに与えています。
その後、コチャバンバ市の公共水道事業SEMAPAはどうなったのかというとすっかり弱体化され、資金繰りに苦しみ、水の供給は週に5日しか無く、さらに水質も問題視されるほどクオリティーは落ち水道管の破損により供給する水の半分が損失しその破損を修理する資金も不足し、公共事業を政府とIMF(国際通貨基金)と世界銀行,一部のグローバル企業の利権の為に市民を苦しめ、結果、争いが起こり、尊い命が亡くなり、混乱を招く結果になりました。
このような20世紀後半型のグローバリゼーション化と伴う公共事業、利権を求めて介入する資本主義の企業など問題は複雑化、混乱化し常に犠牲になるのは市民や弱者等です。このような急なグローバルゼーションに伴う途上国の市民の生活ギャップはなかなか埋まりそうに有りません。もちろん成功している事例もあります。しかしながら彼らには彼らなりの市場、資本社会の幸福感とは別の幸福感が有るのでしょう。グローバル化を一方的に押し付けるのはもう新しい世紀には通用しない事の様に思えてなりません、もっとフィットするやり方が有るのではと感じてしまいます。我々はいま色々な問題を抱えているます、この水戦争により浮き彫りにされてきました。水道公共事業やボリビア市民の言う「水は神からの贈り物」という「水」はいったい誰の物なのでしょうか。
資料 IPS通信
TEXT BY KESO