昨今の環境問題には個々も踏まえ、様々な組織や活動が存在する。
何度もTHE MAGAZINEにも取り上げているコーズブランドや、コーズリレイテッド、フェアートレード等、最近では、
ソーシャルビジネスに発展しているのが、今やベーシックな形として認識とされるほど、多種多様に広がりを見せている。
しかし、その肥大する活動が本当の意味で未来につながる形として、果たして後世に残せるものがどれほど存在しているのだろうか?
一部では隙間ビジネスや企業の売名も見え隠れする活動も少なくはないのが現実。
只そんな中、世界的に認知されている環境保護で有名なナショナル.トラストは純粋な思いから成り立っている希少な存在かもしれない。
ナショナル・トラストとは、 自然地や歴史的建造物などを、 一般市民や企業からの寄附によって買い取ったり、 または、持ち主から寄贈されることにより、 保全し後世に残すことを目的とした活動である。
その活動は、イギリスで1895年に始まり、中でも イギリスのナショナル・トラスト運動の歴史では、 『ピーターラビットのおはなし』の作者であるビクトリクス・ポターが 、イギリスの湖水地方で牧羊場を購入し、経営した。彼女はその景観を愛し、安定した著作権使用料と両親の遺産で地元の土地を買い上げた。彼女はナショナル・トラスト運動の創始者の一人の友人であり、自身の財産で多くを小屋、15の農場、4000エーカー(16km²)の土地を所有し
その美しい景観を残すことに貢献している。
また、今でも語り継がれている理由には、オスカー女優のレニー ゼルヴィガーが演じた「MISS POTTER」もビクトリクス ポターの半生を映画化した事なども、その影響力が、現代にも受け継がれている証だろう。
そこには純粋に何かを残したい、守りたい等、個人の想いから始まったストーリーであるが、何かを愛する気持ちがとてつもなく強い意志を生み出し、
今の現代にも、孤高に存在しているのだろう。
只、注目すべきはその背景には、現在の環境問題に対する活動のアンチテーゼともなり、フィロソフィーの根底見直すきっかけともなるのではないだろうか?
ビクトリクス.ポターの誕生は、1866年、イギリス ロンドンの富裕な中産階級の家庭に生まれた。
19世紀半ばのイギリスは、ヴィクトリア女王の下、反映の絶頂にあり、世界に先駆けて産業革命を成し遂げ、経済発展の成熟期を迎えていた。
当時の中級階級の典型として、ビアトリクスは乳母に育てられ、学校へは通わず、家庭教師について勉強していた。
幼い頃から絵を描く事が大好きで、やがて絵の才能を生かして自分の夢を叶えていく事になる。
また、19世紀は子供の本の黄金時代でもあり、ビアトリクスは、数々の美しい挿絵入りの本に感動し、絵本の三大作家とも言われるほど、人気の高かった、ランドルフ、コールデコット、ケイト,グリーナウエイ、ウオルター クレインにも強い関心を寄せていた。
彼女が描くものは身の回りの小さな生き物だった。ロンドンのペットショップで買ったり、避暑先で見つけて持ち帰ったりした動物等、必ずしもかわいいという類のものではなく、例えば、クモやコウモリ、カメ等も観察の対象であり、スケッチの重要な素材でした。
この時期、ビアトリクスに取って、絵画はいずれも対象を正確に写実するという博物学的探究心に裏打ちされていました。
非常に精密なスケッチや、顕微鏡を使った観察画、ペットの行動や体の構造を調べ、解剖学的にも正確なデッサンを多く残している。
それらは当時、イギリスでブームとなった博物学への関心を窺わせる。
キノコもデッサンの対象でしたが、やがて繁殖の研究へと発展し、植物学会に研究の成果を論文にまとめている。しかし、アマチュアの女性である、彼女の論文が認められる事はなく、自然の細部に注がれていた彼女の視線は、必然的にやがて大きな自然へと向いていった。
ポター一家が避暑の為、1882年から訪れるようにイングランド北西部の湖水地方に彼女は深く魅了され、湖水地方の自然や村、そこで暮らす牛や羊たちが彼女の絵の対象となっていった。
かの有名な「ピーターラビット」の誕生は、家庭教師だったアニーの息子、ノエル ムーアに送った絵入りの手紙がもとになっている。
成人となり両親からの経済的自立を目指した頃、以前にもグリーテイング カードの絵を描いて出版社に売り込んでいた。
1900年にこの絵手紙を子供向けの本にして出版する事を考えた彼女は、あちこちの出版社に掛け合うが断られるが、翌年、私家版「ピーター ラビットのおはなし」250万部を出版。
1902年に挿絵をカラーにしてフレデリック ウオーン社から出版すると、初版8000部は予約完売、大成功を収めた。
その後、今日に至るまで、世界中の子供たちに自然や動物を通じて夢を与え続けている。
絵本作家としての彼女の成功は後年、農業や自然保護への関心を深め、イギリスの経済発展の裏で繰り返される無秩序な開発や環境破壊から自然を守り、彼女の愛すべき生き物たちが安心して過ごさせるように、私財のすべてを投じて環境保護に奔走した。
ビクトリアスの小さな絵本に書き留められ、世界中の子供たちに伝えられている湖水地方の美しい自然と景観は、今日も変わる事なく訪れる人々の心を癒し続けている。
ビクトリクスの偉業を知る事で深く思い起こさせられるのは、現代が抱える問題とリンクする。
発展途上国筆頭に熟しすぎた経済の進歩の裏返しが、さらなる環境破壊に繋がり、天変地異も含め地球温暖化へ向かいつつある事。
また、その奥底で、一人の人間としての明確な真意のあるアイデンテイテイーが必要とされている世界へ突入しているようにも感じる。
只、一般的な計りで我々はともすると、「彼女は才能に恵まれていたから」と特別な存在としてどうしても眺めてしまいます。
残念なことに現代の日々の生活や情報に振り回されて自分が本当は何が好きなのかを知ることに時間を費やす事が出来ず、その結果生涯をかけてのめり込めるものを見つけられなくなってしまっているのも現実。
しかしもっと単純に、大きな偉業でなくとも、純粋に「好きなこと」は誰にでもあり、その想い想いが人から人へ連動して、何かの活動に繋がるのではないだろうか?環境問題もしかりあらゆる事の先には、一人一人の行動一つが最も大切な事である事であり、まさに人生のスタイルを問われているのでしょう。
ビクトリクス ポター
彼女の遺産は現在、湖水地方国立公園の一部となっている。また彼女が晩年に生活していた自宅はヒル・トップという名で一般に公開されている。
1943年12月22日、ランカシャー州の当時の飛び地(現在のカンブリア州)ニア・ソーリーにて逝去した。77歳であった。
reference
wikipedia
text by HM