ワールドカップが開催される 南アフリカ共和国、 以前にもヨハネスブルグトレインとして命がけで危険な遊びを行う若者を記事に取り上げてたのですが、アパルトヘイト(人種隔離政策)がもたらしたものははたして黒人達だけに影響した物なのか?と思い調べてみると なかなか面白い事実に出会いました。
それは 首都 ヨハネスブルグから650KMほど離れた 北ケープ州という場所にかなり特殊な社会と町を形成している「白人だけの町」があるのです。
その町の名前は「オラニア」、人口は600人あまりで そこでは、すべて「アフリカーナ」と呼ばれるオランダ系の白人だけが暮らしています。その町の歴史をひもとくと1970年代に労働者の一時滞在地として自然発生的に存在したどこにでもある集落でした。
しかし事情が変わるのが1991年、
20世紀に入って約90年間もの間、白人政権は人種別教育を定めたバンツー教育法、白人と黒人の性交渉を禁止した背徳法など350以上の法律で支配体制を強化し、原住民土地法、人種別に居住地を定めた集団地域法、人口登録法などのいわゆるアパルトヘイト基幹3法が国際世論や世界的経済制裁による行きづまり、様々な抵抗運動により撤廃されました。
そのことにより黒人政権下で完全に少数派となった白人の中には「共存」という道を選ばない人々がいたのです。
彼らは、廃墟同然であった「オラニア」を約40家族が共同購入という形で政府から買い受け入植を行ったのです
もちろん白人以外の移住は認めておらず、彼らのリーダーは「アフリカーナーの言語、文化を守るために、最も人口密度の低いこの地を選んだ。ここでは、我々が『多数派』になれる」と語ります
「白人は安い黒人労働力に頼った。黒人を同じ地域に住まわせ、自らを少数派にさせてしまった。白人と黒人が完全に分離しない限り、人種対立は避けられない」としたうえで移住理由を明らかにします。
その入植者の理由は様々で、アフリカーナの言語、文化を守る為にというだけではなく入植家族の中には黒人の報復が不安で移り住んで来た者もいます。ただ単に町に職がなく生活の安定を求め入植して来た白人も少なくはありません。
現在、人口は600人あまりに増えローカルの金融機関、独自の通貨を用い、独自の言語を操り、農業等に力を入れ、自立した社会基盤を安定しつつあるこの町。 ここに入植してくる人々の理由は様々ですが、この自治区は結果的に見ると、すべての差別を許さないとする現政府の「虹の国」政策に反し、憲法に違反しながら「アフリカーナーの言語、文化を守るため」と訴えて自治区を形成する「オラニア」の人々。
政府はいわゆる腫れ物にはさわらない様、この自治区を放任している形を取っています。
アパルトヘイト(人種隔離政策)がもたらしたものはあまりにも根深く、黒人間の貧富の差の問題や「オラニア」の人々に代表されるような出口の見えない人種問題は未だ横たわっています。
ワールドカップに向けて世界的に注目があたる場が多くなる南アフリカ、当然こういった問題にも焦点が集まる機会が多いと予想される中、政府や国民はこういった問題をどう解決していこうと国際世論に訴えるのでしょうか?
text by keso
資料
読売新聞