1960年3月13日、英国空軍シンガポール駐留部隊所属の航空機がボルネオに向け飛び立ちました。
フライトの目的は、あるモノをボルネオ奥地の村にパラシュートで降下させること。
この降下作戦に付けられた名は "Operation Cat Drop" 文字通り、パラシュートで猫を空から地上に降下させる前代未聞の作戦でした。
果たして、猫が空から降らされた理由は何だったのか?
ボルネオの地に空から猫が降った日から40年以上が経過した今もなお、
"Operation Cat Drop" は世界中で学ぶべき教訓として、語られ続けています。
■ DDT散布が招いたもの
1950年代後半、ボルネオ奥地にあった原住民ダヤッ族の村ではマラリアが蔓延しており、
国連機関であるWHO(世界保健機関)がその対策に乗り出していました。
WHOはマラリアの流行を抑えるには、マラリア病原虫の媒介者となる蚊の駆除が必要と考え、村に強力な殺虫剤であるDDTの散布を開始します。
その結果、村周辺の蚊は見事に一掃され、マラリアの問題は解決されたかの様に見えました。
しかし、村に思わぬ事態が次々と起こり始めます。
まず、村の家々で次々と雨漏りが始まりました。
当時、村の家々の屋根は茅葺きで、そこには茅を食べるイモムシが巣食っていました。
このイモムシが大発生し、屋根の茅を大量に食べ、雨漏りが始まったのです。
イモムシの大発生の原因は、DDT散布にありました。
DDT散布によって駆除されたのは蚊だけではなく、村にいたハエやハチのような他の虫たちも巻き沿いを食って死んでいたのです。
村にいたある種のハチは、この茅食いイモムシに卵を産みつけて幼虫の餌にする習性があるため、イモムシの数はこのハチによって抑制されていました。
そのため、このハチがDDTにより激減したことにより、イモムシが大繁殖し茅葺きの屋根を食べ、雨漏りが始まったのです。
WHOはこの事態を受け、屋根の材料としてトタンを配給しましたが、
トタン屋根ではスコールの際に雨音を大音響で家中に響かせるために村人たちには大不評でした。
そして、更に深刻な問題が発生することになります。
村にいた猫たちが次々と死んでいったのです。
猫たちは人間同様、DDTを浴びて虫のように死んだりはしなかったものの、
体に付着したDDTを毛づくろいの際に舐めとることで、体内に直接取り込んだしまった結果、死に至ったようです。
猫たちが姿を消した結果、村ではネズミを捕る者がいなくなってしまいました。
捕食者であり、穀物の番人であった猫がいなくなったことで、村はネズミたちの楽園となったのです。
彼らは繁殖を重ね、やがてネズミの大発生が始まりました。
ネズミの大発生は、農作物への被害だけに留まらず、ネズミが媒介するチフスやペストの発生をもたらしました。
マラリアの流行を抑えるためよかれと思ってまかれたDDTは、誰も予想していなかった負の連鎖を引き起こし、
ダヤッ族の村に食料危機やチフスやペストの発生という、より深刻な事態を引き起こしてしまったのです。
この事態を受け、WHOは村にネズミ除去のエキスパートである猫を緊急輸送することになりました。
熱帯雨林によって外部から隔絶され、空港もないこのダヤッ族の村に迅速に生きた猫を運ぶため、
英国空軍の輸送機を用いたパラシュートによる降下輸送という手段が選ばれました。
かくして、前代未聞の猫降下作戦 "Operation Cat Drop" は実行に移され、ダヤッ族の村に空から猫が降ったのでした。
英国空軍のフライトレコードには、『 穀物を脅かすネズミとの戦いのための20匹以上の猫を降下した 』旨が公式記録として残されています。
村に降り立った猫たちの活躍によってネズミの被害は治まり、無事村は救われたといいます。
■ その後の "Operation Cat Drop"
"Operation Cat Drop" の話は一時、新聞の三面記事を賑わせたものの、やがて忘れられていきました。
しかしその後、環境問題が深刻になるにつれ、世界は ecology(生態学)という言葉に代表される様な
「我々を取り巻く世界は人類だけでなく多種多様な生物がお互いにつながり合うことで成り立っている」という認識を持たざるを得なくなっていきます。
その中で、人間も生態系の一員に過ぎずそれを無視すれば思わぬしっぺ返しを受け得る事を示す教訓として、"Operation Cat Drop" は世界中に紹介されていきました。
また、 "Operation Cat Drop" はビジネスの世界でも、学ぶべき失敗例として語られてきました。
世界経済が急速に変化していく中で、従来のやり方では解決できない問題に多くの企業が直面する中、
MITのピーター・センゲ博士らによって確立された "システムズシンキング" というメソッドが注目され、デュポンやインテルを始め多くの企業で採用されてきました。
システムズシンキングは「 問題そのものだけを考えるのではなく、問題を生み出している仕組み全体を一つのシステムとして捉え、
そこにどのような要素があり、その要素の間にどのような力が働いているのか、それをどのように変化させれば問題を解決できるのか 」に注目した問題解決手法であり、システムズシンキングの数ある教科書には必ずと言っていい程、
「 目の前の問題だけに注目し、その背後にあるシステムを無視した為に問題の解決に至らなかった失敗例 」として " Operation Cat Drop" が紹介されています。
興味深いことに、学ぶべき教訓として " Operation Cat Drop" が広く語られるのに従って、その内容が変化していきました。
投下された猫の数が、大幅に増加し1万5000匹だったことになると共に、
村の猫たちの死因が、毛づくろいによるDDTの直接摂取から食物連鎖による生物濃縮*によるものに変わっていきました。
現在、この、よりインパクトがあり、より教訓的なバージョンは、権威ある科学雑誌や大学の教科書にも事実として採用され、
最もポピュラーなバージョンになっています。同時に、" Operation Cat Drop" の実際のバージョンは、殆ど語られなくなっています。
よかれと思ってやったことが、目に見えぬ関係性の中をまわり回って、予想しなかった事態を巻き起こしてしまった・・・
事実として語られる情報の中に実は疑わしい部分が含まれていた・・・
そういった出来事は、私達の前にも様々なスケールで起こり得るのではないか、と思います。
地球規模で環境問題を考えざるを得ず、また情報化やグローバル化が進み、世界がフラット化しつつあると言われる現在、
40年以上前、ボルネオであった "Operation Cat Drop" という奇妙な出来事から学ぶべき教訓はまだ十分にあると感じてしまいます。
* 生物濃縮 : 特定の物質が食物連鎖の過程で、より上位の捕食者に蓄積され、濃度が増していく現象。北極圏において、食物連鎖の上位に位置するアザラシ、さらにそれを食するイヌイットの人々の体内から高濃度の水銀やPCBが検出された事例が有名。広く語られている " Operation Cat Drop" のバージョンでは村にいたヤモリ等が、DDTによって死んだ虫をたくさん食べたことでその体内に化学物質が蓄積され、その影響で動きが鈍くなってしまった。動きの鈍くなったヤモリは、カンタンに猫に捕まえられるようになり、体内に化学物質を蓄積させたヤモリをたくさん食べた猫には、より高濃度の化学物質が蓄積されることになった。その結果、DDTを浴びても平気だった猫が死んでしまった・・・ことになっている。 生物濃縮の概念は、1962年にレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が世界的ベストセラーになったことで広く知られるようになったが、" Operation Cat Drop" に生物濃縮のバージョンが出現しだしたのは、それ以降である。
text by K.A