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  • Posted on
    2011.04.20
  • posted by kenshin.

Media Literacy


[中国軍用機の接近]


3月2日、中国の軍用機2機が尖閣諸島の北50~60キロまで接近。

3月7日、中国の国家海洋局に所属する海洋調査船の搭載ヘリが、南西諸島の東シナ海の公海上(日中中間線付近)で海上自衛隊の護衛艦への近接飛行を行った。

(3月11日、東日本大震災発生)


3月26日、上記同型のヘリコプターが、同海域で警戒監視中の海上自衛隊護衛艦に、急に異常接近し、周りを1周した。


3月26日の異常接近について伴野豊外務副大臣は「このような時期に行われることは非常に遺憾だ」と批判。

中国外務省の姜瑜副局長は、3月2日と3月7日のヘリの一連の活動については「国際法にかなう任務遂行」との認識を示した。また、3月26日に東シナ海の公海上で海上自衛隊護衛艦に異常接近した問題では「状況を調べているところだ」と述べるにとどまった。




[露軍機の領空接近]


3月17日、ロシア空軍の情報収集機が、日本海で日本領空に接近。領空侵犯の恐れがあるため、航空自衛隊の戦闘機がスクランブルして対応。結局、領空侵犯はなかった。空自戦闘機は、東日本大震災への支援活動を終えて通常の警戒態勢を敷いているため、緊急発進に支障はなかった。

3月21日、ロシア空軍の戦闘機と電子戦機が日本領空に接近。領空侵犯の恐れがあったため、航空自衛隊の戦闘機がスクランブルで対応。領空侵犯無し。

3月29日、ロシア空軍の情報収集機1機が、日本海で日本領空に接近した。領空侵犯の恐れがあるため、航空自衛隊の戦闘機がスクランブルした。接近したのは、ロシア空軍の電子情報収集機「IL(イリューシン)20」。約5時間にわたり九州沖から北海道西方へと飛行。領空侵犯無し。東日本大震災後、ロシア軍機の日本領空への接近は3回目となる。

   ロシア軍機が震災後、17日、21日の2度にわたって日本領海に接近したのは、震災後、被災者支援に加え福島第1原発事故が重なっているなかで、自衛隊が総数23万人のうち、10万人超の態勢で支援活動を行っており、航空自衛隊の対応能力が低下しているか試す狙いがあったとみられる。 また、日本海では米軍が強襲揚陸艦「エセックス」など軍艦艇3隻が集結し、そこから第31海兵遠征部隊が仙台空港の復旧支援活動を展開しており、防衛省筋は、ロシア機が「日米共同対応を偵察する目的もあったはずだ」と指摘した。

ロシアは、最近、北方領土の択捉・国後両島に駐留する部隊の装備近代化を図る意向を示したほか、極東部に仏製強襲揚陸艦や対空ミサイルシステム「S400」を配備する計画を打ち出している。 対露安全保障問題に詳しい専門家は、「日本海は他の海域に比べ、戦略的重要性が高まりつつある。今回の領海接近は米軍を視野に入れた行動であり、日本近海で中国の存在感が高まることを牽制する意図もあると思う」と話している。



ロシア空軍機が、東日本大震災後に日本領空への接近を繰り返した問題で、露外務省のルカシェビッチ報道官は、「航空機は日本領空を侵犯しておらず、(日本の)マスコミの騒ぎぶりは理解に苦しむ」と述べた。また報道官は「(福島第1原発事故に伴う)放射能のモニタリングを目的とした飛行は、ロシアに近接する領域の安全に関わることであり、全く説明のつくものだ」とした。





[韓国、竹島ヘリポート改修へ着手し、軍駐屯も検討]


韓国の聯合ニュースは3月31日、日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)で、韓国政府がヘリポートの改修工事に着手したと報じた。竹島の実効支配を強化する目的とみられる。複数の政府消息筋の話として伝えた。具体的な着工時期や工事の進展状況については触れていない。同消息筋は、改修工事が既に行われていることを認めながらも「敏感な事案だけに、(工事着手を)対外的に発表できない」と説明した。更に、竹島のヘリポートは1978年に着工され、81年に完成。使用期間が30年に達し、安全点検で問題が指摘され、全面的な改修が必要とされていた。

李明博大統領は4月1日、青瓦台(大統領府)で記者会見し、竹島(韓国名・独島)について「日本固有の領土」とする記載が盛り込まれた日本の中学教科書の検定結果に関し、「天地がひっくり返っても、われわれの領土だ」と述べ、竹島の実行支配強化を継続していく立場を改めて強調した。また、「竹島は日本固有領土」とする認識がすべての日本国民に共通したものではないとの見解を示した。 韓国の金滉植首相は7日の国会答弁で、日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)について、現在の警察官による警備隊常駐が適切とする一方、「状況によっては(それより)強力な軍隊が駐屯する案も検討する価値がある」との考えを表明した。



以上が、3月から4月にかけての中国、ロシア、韓国の、日本周辺領域での(軍事)行動である。 これに対する日本の報道は、以下。


「ロシア軍用機と中国軍用機が日本領空に接近する回数が、昨年4月から今年3月にかけて、それぞれ前年の1・5倍と2倍に達し、3月11日の東日本大震災後も両国は、偵察飛行や挑発を繰り返しており、被災地支援に10万人を投入している自衛隊は、苦しい"二正面作戦"を強いられているという。
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で、政府や自衛隊など、日本国内の総力が被災地の復旧・復興支援に向けられる中、中国とロシアが日本の領域近くで戦闘機やヘリを飛ばすという"挑発的な行動"をとっていた。
中国、ロシアには「震災支援と領土・資源問題は別」との姿勢を示す狙いがあるとみられるが、日本政府は両国による大震災の支援活動に遠慮してか、毅然とした対応を取れないままでいる。 中国、ロシアとは、昨年の中国漁船衝突事件、メドベージェフ露大統領の北方領土訪問で関係が悪化した。改善の糸口を探っていた中国、ロシア両国は、被災した日本に「自分たちのことのように考えている(3月14日、温家宝首相)」「われわれのパートナーが必要とする援助を行う用意がある(3月19日、プーチン首相)」と温かいメッセージを送り、最大限の支援を申し出た。



よく知られているように、戦前の言論統制は、当局による強圧的な統制が最初から幅を利かしていたわけではない。最初は新聞各社の「自主的な判断」があった。自ら進んで「国策」に協力したのである。

1931年の満州事変直前、ある新聞は社説で「国策発動の大同的協力」へ向けて「機運の促進」を「痛切に希望」すると書いた。同じころ、同新聞社は社内の会議で、「国家ノ重大事ニ処シ国論ノ統一ヲ図ルハ当然」との結論が下されたという。 「新聞社が役人の頭で動いている証拠には、その頭が常に役人本位である。役人を代えると『人事刷新』と囃したてて喝采する。役人の出世・行詰まりを国民の福利と関係があるかのように解釈する結果だ。外務省に行くものは外務省に、陸軍省に行くものは陸軍省に、その型と思想が出来る。これも自分の頭を置き忘れた結果である」「こうした傾向からみて、役人の行き詰まりから来た非常時心理を紙面に反映するのは当然である。殊に幹部が事務的になりきっている場合、主義や思想を守りきろうという熱意があろう道理はない。かくしてファッションの風潮にひとたまりもなく頭を下げるのである」(全て意訳)



この記事が雑誌に掲載されていたのは、軍部による強圧的な検閲が始まる少し前のことである。また当時、新聞社内ではこういうことが公然と語られていたという。 「こういう未曾有の大事変下においては国内の相克こそ最も恐るべきものであります。全国民の一致団結の力が強ければ、何物も恐れることはありません・・・この一億一心に民心を団結強化するためには真に国策を支持し、国民の向かうべき道を明示する良き新聞を普及することが、適切有効であることは今更論じるまでもありません」(大阪朝日新聞取締役業務局長)
「決戦下の新聞の行き方は、国家の意思、政策、要請など、平たく言えば国の考えていること、行わんとしていること、欲していること等を紙面に反映させ、打てば響くように国民の戦争生活の指針とすることが第一・・・」(東京朝日の記者)
「今日では(新聞は)平和産業の一部門だと解する愚か者はなく・・・インキはガソリン、ペンは銃剣である。新聞人の戦野は紙面である。全紙面を戦場に・・・ジャズ゙に浮かれていた数年前の新聞は今日見たくも無い」(毎日新聞OB)

朝日新聞の筆政(今で言う「主筆」)から第2次大戦下の政府の情報局総裁になった緒方竹虎は、総裁になって新聞を統制する側に回った際、若い記者があまりにも「発表」しか書かない、「発表」ばかり書くことが気になり、もっと自由に書いていいのだぞ、と伝えた。すると、若い大勢の記者からは「(緒方総裁が)いろいろなことを話してくれるのはありがたいが、(自由にやれと言われると)どの程度記事にしてよいか分からなくなる」との苦情が出たのだという。
この様に、時代は変わってもメディアと当局の親和性は極めて高い。「国難」「未曾有の出来事」になればなるほど、その親和性は、より高まってくるのだろうか...。

福島原発の事故が発生した当初、自衛隊による空からの放水が中継された。白煙が上がっているだけの原発の様子もずっと中継されていた。しかし、原発の状況が悪化するにつれ、その関連報道は総体的に減少してきたように思う。官房長官のテレビ中継が途中でカットされてしまう場面も一度や二度ではない。

報道すべき事柄がないわけではあるまい。それは日々、比例級数的に増加しているはずだ。原発事故そのものだけではない。放射性物質の安全性に関するいくつかの基準が事故後に緩和されたり、プルトニウムは微量であれば摂取しても安全であると当局が明言したり。情報の受け手が疑問や疑念を持つ出来事は、次から次へと起きている。

報道の現場も大いに混乱してるのだろう。しかし、理由はそれだけではあるまい。ひとつには、もう「慣れた」のである(悪い意味で)。先述した戦前の日本や9・11直後の米国などがそうだったように、「国難」や「国民一丸」が語られるときほど、ニュースは当局寄りになる。この傾向が進むと、残るのは「大本営発表」と「前線で戦う人々の美談」のみである。


東京電力も官僚機構も、そして新聞社も、すでに出来上がった組織である。ビジネスの様式が完成し、日々の仕事が進んでいく仕組みが出来上がっているから、トップや中堅幹部がどのような人物であっても、とりあえずの仕事は進む。そのような組織には、日頃からあまり葛藤がない。戦前の新聞社も実に粛々と、国策遂行会社になってしまった。当時の当事者にとっても、すべては「日常の延長」だったのではないだろうか...?軍部や政権の奥深くに食い込んだ記者も、やがては大ニュースも大ニュースと思わなくなっていく。

ここに、日本の記者クラブ系メディアが抱える宿痾の腐臭が漂ってくる。彼らはあまりに「日本政府発の情報偏重」であり「国内情報偏重」である。外国の「政府公式情報」ですら「チェルノブイリはありえない」と断定しているのに...。

ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、ウォールストリート・ジャーナル紙、イギリスやフランスの新聞、NPOによるリポートのウェブ版、CNN、BBCによる情報が、日本政府や東電の発表を押しのけて、1面トップでもいいのではないのだろうか?自分で判断できず、公式情報に頼る手法でも、それくらいはできるはずだ。周辺諸国への抗議もろくに出来ないのに、何故それほどまでに日本政府情報を世界の公式情報の中でも偏重するのか?

今一度、本来の報道精神に立ち返って頂きたい。「市民が生死をかけた判断をするのに役立つ情報を供給できない『報道』に、一体どんな存在価値があると言うのか...?






[Reference]

THE JOURNAL

産經新聞

日本経済新聞

日本ビジネスプレス

読売新聞





text by w.k

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