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  • Posted on
    2009.11.26
  • posted by kenshin.

YASUKO YOKOSHI 「TYLER TYLER」







今回のインタビューはNY在住であるコリオグラファー(振付家)の余越保子さんにインタビューを行い、今まさに進行形でプロセス中である公開前のダンスプロジェクトTYLER TYLERについてお話を聞いてみました。



KESO  : ご職業はコリオグラファーでよいのですよね?僕からみ るとプロデューサーの面の方も際立って見えますが

Y.Y:そうですね。まあ、山師みたいな者です。大風呂敷広げて 帳尻あわしてくっていうか(笑)



KESO:コリオグラファーになるいきさつって言うのってどういっ た感じだったのですか?


Y.Y:少し長くなりますが、手短に話しますと、まずバイリンガルセクレタリー(英文秘書)になる為にアメリカ留学で訪れた大学で卒業する為に単位を取る目的で取ったダンスクラスが出会いですね。それから大学のダンスカンパニーに所属するようになり、もうバイリンガルセクレタリーにな事なんかそっちのけで踊ってばっかりでした。そののちハンプシャーカレッジという所に編入するのですがその大学がオルタナティブエデュケーションという事を率先してやってた所で、私が学んだのが1980年代の頭だったので当時として相当、斬新な教育システムで学部や試験等なく自分の意志で何を学ぶのか決めてそれを研究していくという所でした。



KESO:結構面白そうな感じですね。



Y.Y:いやあでもそれがすごく大変でカルチャーショックそのものというか、日本の教育を受けて育った私には苦痛でしかなかったのですね、言われた事はそれなりにできるのですが、自分で何かを見つけてそれを自分自身でどんどん掘り下げていく事を毎日毎日学校では欲求されて、自分の「個」とは何か、自発とか何かなど自分に向き合う事を徹底的に学ばされた時間でしたね。


K:自由であるが故に厳しいというか、、、


Y.Y:卒業するまで自己の探求というか自分で望んで入った所で自分がやりたいように自分で突き詰める「WHAT DO I THINK」を試されるとこでしたね。そこでハーバード大学のサマースクールで単位を取る為に夏期講習に参加するのですが、直前に足をけがしてしまいダンスのクラスを受けれなくなりました。それで急遽コリオグラフィのクラスを見つけて土壇場でもぐりこみました。そのクラスは60年代にNYを中心にダンスの民主化(どんな事でもダンスになりえ、誰でもダンサーになり得る)と掲げ、世界的なダンス革命をおこしたジャドソングループの一員ディビッド ゴードンが講師だったのですが、彼にかなり影響を受けました。その後、ハンプシャー大学に戻って自分でコリオグラフィー学部専攻と勝手に称して好きなだけダンスを突き詰めていきました。



K:自分が思うターニングポイント的な仕事ってなんなのですか?


Y.Y:私たちの場合だと仕事の依頼がくるという事ではなく、すべて自分で企画して自分で動いてお客さんを劇場に呼び、作品見せていくという感じになりますね。当時はコミッションの仕事はぜんぜん来ませんでした。ダンサーの時間が長かったのでそのときに当時、仕事が一緒だったコリオグラファー達のやり方を参考にしたりしながら試行錯誤してやって来た感じですね


KESO:いま現在進行形のプロジェクト「TYLER TYLER」について聞かせていただいてもよいですか?


Y.Y:今のプロジェクトはかなり大変で絶対誰もできないと思ってたのですが、もしかして私ならできるかも、1%ぐらいは望みがあるかもと思い取りかかっているプロジェクトです。これがなかなか面白くって。


KESO:作品概要を読ませていただくと

平家物語に由来のある「舟弁慶」 「静の苧環」 「八島」等の原本の古典舞踊の振り付けを残しつつ、コンテポラリーダンスと同じように多角的な視点で再構築し本質的な舞踊の様式美を追求する。とありますが


ダンスで表現しようと言うプロジェクトを言葉というツールで説明しろというのは伝わりづらいとは思うのですが、、、ただ言葉で訳せる事で言うならば、どんな感じでなのでしょうか?




Y.Y:色々言い方はあるので、どうとでも説明はできるのですが、私が正直にこのプロジェクトって何なのだろうと考えるにあたって言うと「文化を翻訳する」作業ですね。伝統であったり、国にある踊りやそれに付随する様々なもの等だったり、、簡単に言うとアメリカのコンテンポラリーダンサーと日本の伝統芸能のコラボレーションですね、タイトルの「TYLER TYLER」は平家物語のタイラ(平)から引っ掛けてて、鏡に映る対の対象としての日本とアメリカ、伝統と現代、古いモノと新しいモノみたいな鏡的な対(ペアー)になるものを同列におくというか、、、



KESO:文化ってふわふわしててなんだかよくわからないのですが。僕は文化って体感するものって言う気がしますが。



Y.Y:そうですね、文化ってperspectiveでしかないというか、definitionしづらいものというか、、、理解するというよりも体感だとか感じていくようなものというか、、私が異文化の中で生きていていろいろな人の価値観やギャップの中でぶつかり合い混迷していくもの、いつも私の頭の中で起こっているものを出してみてフレームにおさめる作業と言うか、、私が興味があるのは説明的な伝統や歌舞伎とは何ぞやというような事よりも踊りという身体を通してしか学べない理屈じゃないものを見てくれるお客さんの細胞にしみ込ませるというか意訳して届ける様な事なのかもしれないですね。



KESO:TYLER TYLERを作るきっかけいうのはどう言う流れだったのでしょうか?ある日啓示的におりて来たみたいなモノだったのですか?




Y.Y:その側面もありますね。実はある振付の依頼(コミッション)を受けたプロジェクトの中で、平家物語の事を少しやったのですがそこでなにか引っかかるものがあって、何か後は見えない力で現れてきたというか、いいダンサーが現れたりパズルがはまってくようにものすごい直感的に動かされてどんどんいろいろなことが起こって来たというか、、昔の私の作品に比べたら作る事には苦労してないというか、、もちろん紆余曲折はあるのですが、現場に行けばひとりでに動くというか、ものすごくパワーを感じますね。












KESO:自分の手を離れて独り立ちしていくような感覚ですか?


Y.Y:もうアートだとかいい作品にしようとかというのを飛び越 えて、どういうふうになっていくのだろうみたいな、、、


K:たどり着く風景を見てみたいというか、旅みたいな感覚ですね。なかなかそういう風に思える作品を作っていくというのはすごい事だと思いますが。


Y.Y:文化とか伝統とかを使って旅しているというか、いい意味で私のコントロールを超えたものになって来ていますね、自分の作品という気がしないと言うか、なんか本当に生きてる人みたいな感じですね。もちろん付き添っては行きますけどね。


今、世の中に出回っている芸術、少し前に言われていたアートバブルがはじける前後の事ですが、なにかもう大量生産 大量消費 みたいな形の上 の形式が新しいものとか、表現方法みたいなもので
人々の価値観をすべで変えていくようなモノではない気がします、なにか TYLER TYLER にはその画一的な芸術ではなく、 余越保子さんの生み出したモノが人格をおびていくことで、作り手と作品の関係性が面白いと感じています。
大量生産や大量消費ができづらい 感じであるが故に作り手側の思想や哲学を反映しながらも手を離れ、作品自体が「人となりや人格」みたいなものが出てくるという感じがする表現とは興味深く彼女言う文化を意訳する作業が何なのか それは見る者にしか感じられない 考えることではなく感じるものなのであろう。 
作品の公開が楽しみである。






「TYLER TYLER」


作品概要

平家物語に由来のある「舟弁慶」 「静の苧環」 「八島」等の原本の古典舞踊の振り付けを残しつつ、コンテポラリーダンスと同じように多角的な視点で再構築し本質的な舞踊の様式美を追求する。


主旨

日本の家元制度が存在するが故に古典作品の二次的使用が可能であるなど、日本の伝統芸能界の特殊な環境を利用してコンテンポラリーダンスへの発想の転換が可能となった新しい試み。文化の柔軟性、虚構性、エキゾチシズムへの妄想を追求し、東と西の文化の相関性の均衡を分解することで互いの美学を侵す事なく、コンテンポラリーダンスと日本古典舞踊の共存を可能にする。


2010、3/17~3/20までNYのDANCE THEATER WORKSHOPにて公開。




余越保子  
広島県出身 演出振付家

NY在住 MAPP  INTERNATIONAL PRODUCTIONS 所属


1981年に単身渡米。ハンプシャー大学卒、ダンス振付け専攻。ニューヨーク大学演劇学部実験演劇課で演劇を学んだのちダンサーとしてニューヨーク、アムステルダムで数々の振付けダンス作品に参加。1998年から振付け家としてダンスシアターワークショップ、ダンスペースプロジェクト、キッチン、PS122などの小劇場で2~3年に一度のマイペースな公演活動を行っている。グッケンハイム、ホイットニー、マサチューセッツ現代美術館などでコミッションを委託されている。


2003,2006年度のベッシー賞受賞、2009年度、サイモングッケンハイム記念基金の特別研究員フェロー、2006年度ニューヨーク市芸術助成金フェロー、2007年度BAXTENAWARD, 2008年度コンテンポラリーアート基金フェローを授与される。 2005年よりNYのART SPACE THE KITCHENのキューレターをつとめる。 2008年より MOVEMENT RESEARCHのボードメンバーになる。






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