Interview

>> Interview : Home

  • Posted on
    2009.08.24
  • posted by kenshin.

NAOKO NOZU








KESO  : 先日、mishimaの写真展を終わられたところですが、またどうして山口県の離島、見島にフォーカスを当てて写真という形で作品をつくられたので しょうか?


NAOKO NOZU  : 私にとって生まれ故郷でもない島ではありますが、初めて訪れた時から親密さを感じ、その感覚を追求したかったのです。


KESO  : mishimaについて感じた事を教えていただいてもいいでしょうか?


NAOKO NOZU  : 今回の展示は2007に続いて二回目の展示となったのですが、毎回展示する空間とのコラボレーションであり、mishimaの魅力をシェア出来る喜びを感じました。




KESO  : 確か以前に巫女だとかを作品として撮られてますがどのようなものだったのでしょうか?


NAOKO NOZU  : 以前、つげ義春氏の作品「赤い花」にインスパイアされ、神社で作品撮影した事がありました。少女から大人の女性へと変化すること、その過程においての神聖さを表現したかった。キリスト教で言う乙女マリアの受胎告知のような神聖さにとても興味があります。
実はその時の撮影がきっかけで、山口県にある見島に出会うことが出来たので、流れていると思いました。
今私とmishimaの関係は答えが出ていない状況です。多分ライフワークとなるでしょう。
ただ、日本の原風景がしっかりと残った島である事は確かです。
小さな島ですが、古墳もあるし、江戸時代の北前船の風待ち港でもありました。歴史もある島です。
共同負債といって過去に皆で借金を返済したと言う記録もあります。
ある意味、成熟した島というのが魅力の一つです。







KESO  : 「今私とmishimaの関係は答えが出ていない状況です。多分ライフワークとなるでしょう。」ということばで裏を返せば直感的にここにはなにかある!!というインスピレーションがないとライフワークとして自分のライフを懸けてやろうとは思わない訳でしょうし例えば日本の原風景が残っている一つとするならばそれは沖の島でもよかった訳でもあるだろとおもうのですが、2回目の展示となるとやはり僕にはそれなりに引きつけられる魅力という物は他の島には全くない特別なものがあると思うのですが、、、ライフワークになるかもおっしゃるぐらいならばそこまで引きつけられる魅力という物は「成熟した島」という言葉以上のものがあるのではないでしょうか その辺はどうお考えでしょうか? 

NAOKO NOZU  :  勿論、日本の原風景と言う事でしたら他の島でも良かったと思います。多分、私という人間が日々暮らしていく中でいろんな人々との出会って、
その特別な私とたまたま出会った見島がこのような作品になったのだと考えます。



KESO  : 一期一会で出会った見島を作品の対象とし、「私とmishimaの関係は答えが出ていない状況です。多分ライフワークとなるでしょう」とおっしゃるように、どうなるのかはわからない野頭さん自身と見島との関係を綴っていくという作り込まれていくドキュメンタリー性というものは面白い表現なのかも知れません。 それは私にはまるで久し振りにあう友人とのPHOTO DIARYの関係のように思えてならないからです、自分も日々何かしら成長していき、日々思いや感じる事や考え等が変わっていく、もちろん見島も日々色々な出来事が起こり物としてもいろいろな顔を見せ、移ろい変わっていく、そんな一人と一島とのどうなっていくかわからない関係性を綴っていくこと 私はそういう捉え方が作品を見て感じたのですが、そういう不安定さみたいなところが引きつけられる要因になっていると感じていますがこれから見島との特別な私との関係は作品としての到達点はあるのでしょうか? 


NAOKO NOZU  :  到達点あって欲しいですね。例えば、山田洋次さんの「男はつらいよ」シリーズも、多分作っている段階では毎回毎回繰り返しな作業の中で、何作も作っていく事で到達点へと向かって行ったのではないかと思います。
後で振り返ってみると、ああいう風景は今なくなってきたよね、程度のことが実はすごく重要ではないかと思っているんです。



KESO  : そこはわかる様な気がします。 例えば、そもそもこのTHE MAGAZINEも一応、21世紀の人間の生き方を探るという意味で色々なアーティクルをもうけて継続し、記事なりインタビューなりを重ねることで点が線となり厚みが増える事で立体になり、重ねた事で出てくる形成されたものを見てみたいという思いはあります。ただ到達点に行き着くにはプロセスが必ずあると思うのですがこのプロセスにこそすごく意味がある気がしています。積み上げれないと後でも振り返れない気がするのです、、
少し話しをかえますが、創作のインスピレーションという物はいつもどこからうけるのでしょうか?



NAOKO NOZU  :  自分にとって興味のあるものに出会い、その親密さの中で生まれる表現したいと言う気持に突き動かされて



KESO  :  なるほど親密さの中で生まれる表現したいものという言葉が出ましたが具体的にどういう事をさしているのでしょうか? 例えばいままで数々のクリエイターにインスピレーションを受けるまでの行程等をインタビューで聞きましたがNEW WORK MAGAZINEのRYOTATSU TANAKAは
「基本はResearch → brainstorming → concrete idea → study → elimination と言った流れの中から生まれます。一番大事にしているのはリサーチ、ブレインストーミング、から絞り出したideaをできるだけ多くスタディーするということです。多いときだと200パターンぐらいやると思います。そこから最後の1つになるまで排除していくと、必ずそこには自分が初めにイメージした以上のものがある。それが僕のデザインです。」という行程を踏んで形にしていきます、ファションデザイナーである Robert Gellerは「自分にとってはアイデアなどの源は感情・感覚、実際にはもっと欲求に近いものでしょう。次のシーズンで何を望むか、それはたいへん個人的なことですし、大概とても漠然としたビジョンから始まり、自分のなかで余計な凝り過ぎた事細かいものを削ぎ落とし削ぎ落としリアルなものを発見しなくてはいけません。この感覚とともに洋服、同じくしてコレクションを通して自分にとって何がそこに存在するものなのか発見していけるのです。」とかたっています。
野頭さんの場合だと自分にとっての興味と親密になる関係性やプロセスなどはどういった方法、手段を通してうまれるものなのでしょうか? もうすこし突っ込んで聞いてみると自分に興味のある物のフィルターみたいな物は写真家としてどういう目線でとらえていくものなのでしょうか? 

NAOKO NOZU :   面白そうだなと感じたら、まずはその興味の対象と自分との関係性を考えてみる。もちろんリサーチなどもしたりして、関係性を絞ってもいきます。そこで、残ったものが私にとって特別だなと思ったら突き進むと言う感じです。
 たまたま表現方法が写真だったというだけで、表現方法には本当はこだわっていません。ただ、写真は何処を見ているのかということが、ずばりと表現されてしまうので、ごまかしがききませんね。





KESO :   興味の対象というの視覚表現という事に対してなのだけなのでしょうか? 例えば野頭さんのおっしゃる親密な関係というところは目に見えない感じも含まれているとは思いますがその感じみたいなものを表現として写真など目に見えるものであぶり出してやろう みたいな考え方なのでしょうか?その辺はどう感じてらっしゃいますか?


NAOKO NOZU  :  見島に通って何回目かの頃、島中のいろんなところを撮り尽して、果たして私は見島の何を撮りたいんだろうと思って、悩んでいた事がありました。確かにこの島は魅力はあるんだけれど、それが何なのか、漠然としていて判らなかったんです。そんな滞在の最終日の夕方、島のはじっこの灯台(北灯台)で、日の沈むのをぼーっと見ていたら、日が沈んで辺りが暗くなったときに、今まで見えなかったものが、見えてきたことがあったんです。
360度海が見える、その岬に漁船の明かりが沢山見えてきて、これだーと直感しました。日が沈んだ途端、灯台の明かりがついて、その明かりと共に漁船の明かりが見える。そんな光景に心を打たれたんです。当たり前と言えば当たり前なのですが・・・。 昨年「崖の上のポニョ」が公開された時、同じ様なシーンがあって、すごくびっくりしました。 写真を撮っていて良く思うのですが、こちらから見えるものは相手からも見えているということをよく意識します。それは視覚的なものですが、写真家は映り込みなどに気を配るので、いつもその辺は考えています。逆に見えていなくても存在しているという事にも敏感なのです。
例えば日の出のように次のシーンには現れていると言うような感じです。 



KESO  : なるほど、野頭さんのおっしゃる「当たり前と言えば当たり前のこと」や「見えていなくても存在しているという事にも敏感」ということが、意識できているのかいないのかという事はある程度,能力や感性の様な気がするのですが、、、極端な話「0」の発見や重力の発見、これは以前この、THE MAGAZINEのCULTUREで紹介したエール大学の名誉教授であるリサ ランドール博士の5次元の発見の話に通じる気がします
野頭さんの写真家として自分が無償で心をつきうごかされ表現したいと思えるものとは言葉で表すことができるのならばなんなのでしょうか? 


NAOKO NOZU  : やっぱり愛だと思います。


 KESO  : 私もそこにつきる気がします。  今回はインタビューに答えていただきありがとうございました






野頭尚子
写真家
1968年東京に生まれる。
野頭尚子写真展「mishima」を2007年、2009年と開催「東京写真学園」の講師もつとめる
http://nozu-naoko.com


 









TEXT BY KESO

top