現在、NYを拠点に活動するピアニスト 野瀬栄進 作曲家でもあり、プロデューサーとしても活躍し、JAZZ 評論家のエドワード ブランコは彼を「1つだけはっきり言えるのは、ピアニストの野瀬栄進は伝統的なジャズのイディオムだけで満足していない。 彼はより自由な即興芸術を好み、創造的で、時には困難で複雑でチャレンジングな音楽を通して 彼の奥底にあるフィーリングを表現する事を言わばドリームし続けている。彼の即興演奏に対するそのあり方は、 ジャズのあるべき本来の姿ではなかったろうか。」こう評価している。
今回、その創造的でありチャレンジングを続ける渦中にある野瀬 栄進にインタビューを迫ってみた。
Q : 現在JAZZの本場を拠点に jazzピアニスト、作曲家 、プロデューサーとして活躍されているeishinさんですが詳しい活動内容や現在の jazzピアニスト、プロデューサー、作曲家としての確固たる地位を築いた経緯などを教えていただけますか?
E.N 頑固たる地位をまだまだ築いているわけではありませんが、、、
20歳で渡米しカリフォルニアでジャズを始めてその後
NYに渡りMannesとNew Schoolに行きました。
リッチー・バイラークやフィル・マルコウィッツ、
ジャッキー・バイヤード、
バーリー・ハリスなどに師事しました。
2001年に初アルバムを出して
2002年から日本でツアーをするようになりそのあたりから本格的な活動が始まりました。
Q : そもそも、なぜJAZZというジャンルを選択したのでしょうか?それは、栄進さんにとって自然な流れだったのでしょうか?
E.N : クラシックピアノを4歳から始めましたがあまり楽しくなくて小学低学年でやめてしまいました。
その後YMOにのめり込んで真似事をしてみたり、
地元のオーケストラでクラリネット吹いたり中学に入ってまたピアノをやったりブラバンに入ったり、
音楽が好きで携わってはいましたがどれも本格的ではなく音楽よりもスポーツに夢中でした。
ジャズは高校までは家にベニーグッドマンのアルバムがあったくらいでした。
ですが、小樽の町でジャズを聴くチャンスに恵まれ、
サマーフェスティバルがあり高校の頃にナベサダさんやトコさんを野外コンサートで聴いたり、
BJというジャズバーに通ったりして意識はしてませんでしたが耳には入っていました。
19歳の誕生日の時に友人がジャズのコンピレーションのアルバムをプレゼントしてくれて
沢山のアーティストが入っている中でモダン・ジャズピアノを聴いて自分でもやってみたい、と思ったのが
ジャズに入り込んだきっかけだったと思います。
クラシックも多少やっていましたが、
ジャズを選択したのは、枠にハマらない自由さと、
ジャズのリズム感やハーモニーが
自分の感覚にぴたっと合ったんだと思います。
Q: 作曲はどのようなクリエィティブな行程でできあがるのでしょうか?
インスパイアーを受ける事柄や曲が生まれるアイデアなどどういった感じで生まれたりするのでしょうか?
E.N : ピアノを弾いている時にアイディアが浮かぶ時もあれば、
シャワーを浴びている時、道を歩いている時などにメロディーが浮かんでくる時もあります。
ピアノを即興で演奏してそのまま曲になる場合もあり、いろいろです。
ツアーに出ている時はほとんどOUT PUTという感じで作曲するモードではないですが
NYに戻り落ち着いてくるとクリエイティブモードになり曲を書きます。
通常はピアノの前で書きます。メロディーとコードを同時に書いていきます。
スケッチ的にフレーズだけを書いておく場合もありますが
出来るだけ一気に書き上げるようにしてます。
その後、色々な方と共演する事によってアイディアをもらったりして変えていったりします。
Q: なるほどツアーで演奏するときのOUT PUT と 曲を書いている時のクリエイティブのモードが分かれているのは興味深い話です、
そのあたりについてもう少しお聞かせ願いますか?
例えばツアーで演奏するときのOUT PUTというモードのときの思考と曲を書くとクリエイティブな思考などは全く違うものなのでしょうか?
その使い分け方やモチベーションの高め方など、特に自分でコントロールなどをしているのでしょうか?
E.N : ツアー中は練習する場所がありませんし、何かを探求したり、レッスンなども取りませんので
技術向上の為の時間も場所も物理的にあまりありません。
演奏、移動、そして多くの人とのコニュニケートが中心になります。
ニューヨークでは落ち着いて自分の中心をしっかり見据えることによって
音のある領域にアクセスしやすくなり曲が生まれやすくなるのだと思います。
『思考』というより『バイブ』や『エネルギー』の問題なんだと思います。
Q: 現在、進行中のプロジェクトはどういったものがありますか?
E.N : ソロピアノ
2/4に札幌キタラホールでのソロピアノがあります。
デュオ
昨年12月にパーカッションの武石聡さんとのデュオをニューヨークで行い
ライブアルバム『THE GATE』が発売されそのツアーを企画中。
トリオ
James Commack(b) Duan Cook(ds)とのトリオアルバムのレコーディングが終わり製作中です。
クラシックとジャズの混合バンド。
その他にはマネスカレッジ時代のクラシック音楽仲間との3人で結成したMusica Contigoという
バンドがあり2月に目黒パーシモホールで演奏します。
Q: ライブアルバム「THE GATE 」について詳しくお聞かせください
E.N : THE GATE
全曲僕のオリジナルで初のライブアルバムです。
武石聡さん(パーカショニスト)との一風変わったデュオ。
S&R washington award 受賞記念アルバムという事で発売しました。
本当はソロライブだったのですが、2ステージ目に武石氏に参加してもらい
『すこぶる良いピアノで弾くんだから録音してみようか』
という事になり武石氏が
アルバムを作る予定ではなく記録として録音してくれました。
武石氏は主に3つの小さなパーカッションを演奏しているのですが
その少ないパーカッションからクリエイトするサウンドに驚かされます。
ベースがいない事により、
テンポやハーモニーやリズム
の全てに関してさらに自由になりトリオ演奏とはまた違った作品になっています。
Q: キタラホールでのソロピアノや次回作のアルバムはどういった内容のものとなるのでしょうか?
E.N : キタラは札幌にあるすばらしいコンサートホールです。
ホールでのソロは初めてでソロですし色々な意味でチャレンジです。
オリジナル曲が中心ですが、多くの人が知っている曲も弾こうと思ってます。
来年は渡米20周年という事もあり記念すべきイベントです。
沢山の方のご支援ご協力によって行われる
地元でのソロコンサート、
自分自身も楽しみにしてます。
次のアルバムは
ベースのJAMES CAMMACK、
ドラムのDUAN COOKのトリオアルバムです。
3曲は僕のオリジナル、後は1フレーズ/モチーフだけを書いてるものが2、3曲
その他はまったくのフリーで、ドラムからスタートとかファンクとかそういう決まり事を一つ決めて
コードもメロディーも何も全く準備しない完全即興演奏で録音しました。
ボーナストラックで自宅で録ったリハーサル風景を入れました。
実際のマンハッタンの町の音をバックで流してありなかなか面白い作品です。
Q : 2009年度のS&R WASHINGTON AWARDを受賞していますが
どういった賞なのかおしえていただけますか?
E.N : 作曲と演奏活動の功績が認められ
2009年度 S&R Washington Awardを受賞しました。
2010年5月にワシントンD.Cにて
表彰式とパフォーマンスが行われました。
授賞式には日本大使なども参加されました。
S&R FoundationとはDr.Sachiko UenoとDr.Ryuji Kuno
(上野製薬会社上野名誉会長)
の二人の科学者・発明家が2000年に立ち上げた団体で、
ファインアート、音楽、 ドラマ、ダンス、映像に関わる
芸術家そして科学者の支援をしています。
この賞は音楽家だけではなく、アーティストやダンサーなどを含めた
全ての芸術家が対象で、日本とアメリカの架け橋になるような
新進気鋭の芸術家に与えられるものです。
ジャズ・ミュージシャンとしては、初めての受賞でした。
過去の受賞ミュージシャンとしては川久保賜紀さん(vl)
庄司紗矢香さん(vl)、小菅優さん(p), 森麻季さん(sop)などがいらっしゃいます。
Q : プロデューサーとしても手腕を発揮されておられますが、テレビでも放送があったように元モーニング娘の加護亜依さんをJAZZシンガーとしてプロデュースなさっておられましたが、EISHINさんと元アイドルとの結びつきがあまり想像できなかったのですがプロデュースする事になったいきさつやプロデュース過程でのお話を聞かせていただけますか?
E.N : ニューヨークのフジテレビで1998~2002年まで映像編集の仕事をしてました。
2009年ピアノを教えているご家族のパーティーをやったときにフジの方と再会してその流れで
ソロピアノライブを全世界にストリーミングという企画がありました。
その後加護亜依さんの仕事を頂きました。
Q : 元アイドルを全く違うジャンルであるところでプロデュースするという所で戸惑いなどはなかったのでしょうか?また、どういった所を重点に置き彼女のプロデュースをして行ったのでしょうか?
E.N : 戸惑いはあまりなかったですが、
全てテレビが回っている中でのリハやアレンジだったのでいつもの感じとはもちろん違いました。
彼女の歌に関して言えば
ジャズのスタイルを確立してしまって
こういう風にやってくれ、
こうじゃないとやだっというシンガーよりも
彼女のように真っ白で、
こったアレンジや僕のオリジナル曲を演奏したり
何でも挑戦しようとする姿勢が良いと思いました。
スポンサーのKDDIさんやFCIを含めた回りの方々は
いきなりボックスから飛び出た音楽内容で
加護ちゃんついていけるか、大丈夫か、と心配していました。
ですが最初のリハで彼女のキャパをみて
彼女なら多分大丈夫だな、と感じ
彼女が出来るギリギリのところまでいくアレンジをする流れになりました。
元アイドルといってもやはりかなり訓練されていて、
リズム感や対応能力は素晴らしかったですし頭もいいし、
フィールや感性、個性のある声、ステージに立った時の雰囲気/存在感など
いいところが沢山あり、その良い方を伸ばし生かせるようなステージ作りを心がけてました。
カラオケや学芸会のようになったり決めごとが多い堅いステージになるとつまらないので
バンドが全体が楽しめるような雰囲気なればと思ってましたが
ただこのバックのメンバーだと自由になりすぎるので
(ちなみに次回の僕のアルバムのリズムセクションです)
自由の中でも制限を作ってその中で
彼女の良さがでるように唄ってもらえたらと思ってました。
加護さんはジャズを2009年の10月に始めたばかりで
2010年にはNYであのようなステージで
しかもかなり自由度の高いジャズミュージシャン達とかなりこったアレンジで
唄うんですから僕個人としては
GIVE HER A CREDIT!という感じです。
Q : 今後の活動予定内容やチャレンジしてみたいことなどありますか?
E.N : 日本やアメリカだけではなく
ヨーロッパや南米などにも演奏活動を広げていきたいです。
実際の演奏しに行くのはもちろん
曲だけでも世界に広がっていけたらいいです。
あとは誰かのバンドに入ったり、自分の音楽以外もやっていきたいです。
INTERVIEW BY KESO