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  • Posted on
    2011.03.12
  • posted by kenshin.

VU MAGAZINE








アメリカの「LIFE」誌と並んで成功を収めたグラフ雑誌としては、もっとも初期の雑誌である「VU(ヴュ)」は、第二次世界大戦前にフランスで刊行されていた雑誌である。1928年、自身も写真家であるLucien Vogelによって創刊。主体的に写真を多用しつつ記事を添える、というタイプの雑誌であった。VUには、Alexander Liebermanらが編集やダイレクションに参加。彼は第二次世界大戦前から戦後にかけて、VUの他にもVOGUEのアート・ディレクターとして活躍。特に後者の雑誌における活躍は、ファッション写真の興隆に大きく寄与した。 VUには、ロバート・キャパの代表作である「崩れ落ちる兵士」であったり、当時、世の注目を受ける作品が多く掲載されていたことなどから、社会に対する影響力も大きく、また表紙にフォトモンタージュを多用したことでも知られている。「VUは、フォトジャーナリズム雑誌のフォーマットとしてはかなり先駆的だったので、創刊から10年足らずで、アメリカのライフ誌を先行していた」という批評家もいる程だ。これは、Henri Cartier-BressonやMan Ray、Brassai、Kertész Andorなどの驚異的な才能を集めたことによるところが大きかったのではないだろうか。
写真は、正直で顕著である。そして記事がフォローしている範囲の広さも雑誌の魅力の1つであるが、何より本当にVUが優れていたのは、ページレイアウトだった。これは、特にダブルページのフォトエッセイの設計から感じ取ることができる。これらのスプレッド・タイトルは、写真そのものよりも、ページデザインをより参照するように見えるのが特徴で、1980年代以降は当たり前となったこれらの冒険的なレイアウトは、この時既に完成していたと言ってよい。 またVUは、写真技術の急速な改善の渦中に創刊された。ライカやローライフレックスの登場は、単に高品質の写真というだけでなく、携帯用カメラに革命的な進歩をもたらした。また、写真の伝送も可能となり、それにより刷新された印刷プロセスは、安価でシンプルなレイアウトを可能とし、高品質な写真の印刷をも可能とした。これは、メディアが近代化する画期的な瞬間であると同時に、革命でもあった。これ以降、編集・設計者は、大量生産の為に自由かつ柔軟な姿勢でテキストと画像を混在させ、より創造的な課題を専門的に処理する能力を問われることになっていく。
この時代、グラフィックデザイン(画像の割合の変化、幾何学的な形態、対称性)のツールとして、写真固有の新しい基準が追加されたことも無視できない。例えば、空間における物体の向きや視線の方向を、一時的な遷移がその画像によって示唆している様に...。そしてレイアウトデザインという新たな専門分野が開拓され、その構造は芸術的な構成と画像の配置によってロジックされる様になったのである。今で言うところのWebデザイナーや情報アーキテクトにも通じる部分である。
Alexey Brodovitchらによりデザイン、レイアウトされた「HARPER'S BAZAAR」などが象徴する世界的な「グラフィカル主義」の波が押し寄せるずっと以前から、VUは既にそれらレイアウトに見られる技術も、創造性も兼ね備えており、結果世の中に大きな影響を与えていたことは非常に興味深い。 技術が最大の関心事であった当時、 技術対応のグローバル化がもたらしたであろう保護主義的な懸念に加え、1920~1930年代のVUの編集者が、同じように技術や文化への影響(良くも悪くも)を受けていた事は、雑誌のフォトモンタージュの中で最も不気味に表現され、他の一般媒体へも波及していった。 当時の世相や文化、時代背景(ナチスの台頭や第2次大戦の予兆など)をバックグラウンドに、市民の気分や価値観は、その表層部分であるファッションや世俗文化として新聞・雑誌を通じて表現されてきた。それから1世紀近い年月を経た現代、やはり世の中は混沌とし、より複雑化してしまった(少なくともそう感じる)。そんな重苦しい時代、VUに集った才能が世界を揺るがした様に「まだ雑誌というメディアの影響力によって世の中は変えていける」、そう信じたいし、そうであって欲しいと願っている。
text by wk

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