未曾有の事態の関東大震災が起こる直前に2011 A/W PARIS COLLECTIONが終了した。
日本ではファッションとか言ってられない大事態が起こってしまい話題になる事がなかったが、今期のパリコレはこれからのファッションの意味を定義していくのには非常に興味深かった。
そもそも パリコレが個人的に面白くなった流れの一つとしてあくまでも私見だが、80年代の川久保怜、山本ヨウジ、などの参入によりパリコレクションの大きな流れというかルールそのものというものが変わったからだ。
それは、コムデギャルソンの初のパリコレでは生地をあえてぼろぼろにして使ったり、セーターに穴をあけるなど、前衛的な試みが多く見られ、「乞食ルック」と評されたり、YOHJI YAMAMOTOは当時タブーとされていた"黒"を前面に押し出したショウを発表し、"黒の衝撃"と称され一大旋風を巻き起こす。
それは例えば写真技術が美術史に与えた大きなインパクトの一つの「アウトフォーカスの発見」絵画では既成の秩序や常識を否定し無秩序や非理性を礼賛するダダイズムを母体とした精神の全的な解放と既成秩序の否定を唱え、創造における無意識の役割を重視した 「シュレアリスム」の台頭。
見える現実を描写するのではなく、色彩と形態などの純粋な造形的な要素だけによる表現を目指した「印象派」の誕生の様な「掟破りな新しいもの」という概念のものをファッションに生み出したのは賛否両論の評価を受けつつも、時代に流されないその反骨精神はモード業界に革命をもたらした。
その流れはパリコレクションに「禁じ手無しのクレージー服ルール」というものを確立させた事なのではないだろうか?
そのルールはいつしか本来のプレタポルテというものを飛び越し「劇場型ファッション」を生み出し、自由な表現の独創性を生み出すデザイナー、ゴルティエをはじめとしたアレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノの生み出していった。
しかしながら、すべてルール無し、何でもありのクレージーな洋服が評価されるのかと言えばそうでもなく ミラノコレクションではこのルールは適用されず、あくまでもプレタポルテという軸はぶれていない。
その中で初期のジルサンダーは禁じ手有りのクレージー服無しルールに留まりながらいかにクレージーな服を作るか」というルールで作られていて、「その中間で試行錯誤をする服」というのが新鮮で、そして面白かった例もある。
しかし現在は、完全に相対化され、禁じ手無しのクレージー服デザイナーがクレージーでない要素をあえて取り入れる趣向がみられ、逆にクレージーな洋服を作らないデザイナーがクレージーな要素を取り入れる、ごちゃごちゃの状況の中、このごろは残念なことに、ファッションは企業のコマーシャリズムに消費されて世界の製造業の一コマとして組み入れられてしまった感が如実に出て来てきていて、デザイナーたちがお互いにアイデアを出し合い、刺激し合うようなデザインの価値観や捉え方などを高め合う関係が崩れ始めているように見えます。
そんな中、今回のパリコレのキーワードは「エレガンス」と「シック」
奇抜さを競うのではなく、優雅さや上品さを強調する服が目立ちました。その代表格がランバン。黒のシンプルな日常着から始まり、最後に明るいピンクやオレンジのドレスを見せ、若々しさを表現し抑制の利いた装いが目立ち、独創的でオリジナルなデザインは減少していく傾向にある事を認識させられました。
また、クリスチャン・ディオールのデザイナー、ジョン・ガリアーノが人種差別発言で職を追われジャンポール•ゴルティエはエルメスのデザイナーから降り、自分の名を冠としたブランドも株式売却騒ぎが起き、マックイーンは自殺し、、と、どんどんと強烈な個性のデザイナーが次々と去っていく。
一方、ディオールなど高級ブランドを持つフランスのLVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)が、イタリアの宝飾ブランド「ブルガリ」の買収を発表し、巨大企業によるインダストリーなビジネスの一コマとして淡々とファッションは記号化されていく様に見受けられます。
コムデギャルソンが80年代にねじれや歪み、アシンメトリーといった大胆な手法を取り入れることにより、洋服だけでなく精神的にも平面性を越えた立体的な表現や独創性はもうパリコレでは必要なくなったのでしょうか?
禁じ手無しの個性を競い合うというルールでのパリコレの求心力は保てるのでしょうか?
TEXT BY KESO