ファッションとポップカルチャーを武器に、世界規模でメディアや若者の「AIDS」に対する意識を高めることを目的として組織されたこの団体は、ファッション系チャリティープロジェクトとしては、現在おそらく世界で一番注目を浴びているのではないでしょうか。
80年代、HIV/AIDS に関するメディアの報道はたくさんあり、人々は正しい情報を与えられ、意識も高かったと思います。しかし、新しい世代の人達の中には、どのようにしてHIV感染するのか知らない人も多くいるそうです。例えば、同じカップで飲み物を飲んだり、陽性の人と同じトイレを使うとHIV感染すると思い込んでいたり...。この様に、いつしかHIVは「忘れられた病気」になってしまいました。それもそのはず、最後に世界規模のAIDS撲滅キャンペーンが行われたのは20年も前のことです。しかし残念な事に、状況は分刻みで深刻化しています。ゲイでなかったり、アフリカの貧しい村で過ごしていなかったりすれば「自分の生活とAIDSは無関係だ」と思うかも知れませんが、それは間違った考えなのかも知れません。
最新の統計によると、アメリカ人と西ヨーロッパ人合わせて65000人が新たにHIV感染者となりました。また、異性者間での避妊無しのセックスによって感染した割合も非常に高く、ヨーロッパのある国では、新たな感染者の内、およそ3分の1が女性でした。HIV感染者は現在、西・中央ヨーロッパを合わせると約50万人、アメリカでは100万人を超えるに至っています。
そんな中、2004年、オランダ出身の元ファッション・ジャーナリスト、NINETTE MURK は、自分のアシスタントをAIDSで亡くしたことがきっかけで「DAA」の立ち上げを決意しました。
「彼が亡くなる前、周りの多くの人々が彼にネガティブな態度をとりました。何故知的な人々がここまで無知になれるのか?悲しみと同時に怒りを覚えました。それから私の中で何かが変わり始めたのです。これまでの自分は、流行の洋服を着たモデルを観て、読者に『次のシーズンは○○○ルックが流行る』と伝えること以外に何をしてきたのだろうか...。変わらなければいけない。何か意義のあることをしたい。」彼女がそう思いはじめたことも、あるいは必然だったのかも知れません。
ベルギー・アントワープでキャリアを積み、ファッション業界に多くのネットワークを持つ彼女の呼びかけに、Ann Demeulemeester、Martin Margiela、Raf Simons、Bernhard Willhelm ら多くのベルギー人ファッションデザイナーが協力を惜しみませんでした。彼らがカスタマイズしたEvisuのジーンズやジャケットは、オークションで飛ぶ様に売れ、そのお金はAIDS関連団体に寄付されました。
また、「Umbro」や「American Apparel」が提供してくれたTシャツに、Marina Yee、Spastor、Scissor Sisters、The CureのRobert Smith、The Cardigans、Faithlessなどのデザイナーやアーティストのデザインをプリントして、パリのColetteやDover street Marketなどを通じて販売。
そして、H&Mとのコラボレーションによって、日本での知名度も一気に上がってきたのではないでしょうか?今年で3回目を数えるコレクションでは、過去 Kety Perry、Yelle、Dita Von Teese、Estelle、Katharine Hamnett、Yoko Ono、Moby、Cyndi Lauper、Dangerous Muse、Robynなどの著名人やアーティストがサポーターとして参加。デザインの提供や広告塔としての役割を果たしてくれた結果、毎回コレクションの殆どが完売しています。これはDAAから派生した「Fashion Against AIDS (FAA)」というプロジェクトで、ここから得られた収益は、AIDS患者のサポート組織や研究機関に寄付されています。
これらは今、少しずつそのスタイルを変えて、
Models Ageinst AIDS
Knitting Ageinst AIDS
International HIV/AIDS Awareness Education Center
などへと、大きなうねりとなりつつあります。
例えば、Tシャツにプリントされた「FREE TIBET!」とか「SAVE THE WORLD」などの標語は...あるideologyや主義主張を、個々のライフスタイル(ファッション)として表現するという手法で、昔からよく使われてきました。そして近年、世界的なソーシャル・ビジネスへの流れは、誰もが認識していることと思いますが、DAAは最新のファッションと若者が支持しているデザイナーやアーティスト、ミュージシャンらの協力を得たことで、テャリティー及びビジネスとしても大きな成功を納めたのです。
NINETTE MURKは、ある日突然友人を失った虚無感から「何かもっと意義のあることをしたい」とDAAを立ち上げましたが、皮肉なことにそれまで自身が携わっていた「ファッション」によって成功へと導かれたのでした。
大量消費型のビジネスモデルが淘汰されはじめている昨今、ソーシャル・ビジネスとしてのファッションの可能性に、とても興味をそそられました。ファッション特有の高いクリエイティビティー(創造性)とはまた違った次元での生残りの可能性や重大なヒントが、DAAの進むべき未来にはある、と感じました。暫くは、この流れから目が離せそうにありません。
[Reference]
http://www.designersagainstaids.com
text by wk