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  • Posted on
    2008.12.12
  • posted by kenshin.

「SUWADA」~世界のビューティーを支えるもの~

納期半年以上の状態が長く続き、世間から「幻のつめ切り」と言われたネイルニッパーが存在しました。
理由は至ってシンプル。一本一本が職人による手仕事だったからです。しかし、その為に現在の評価とそれに比例した切れ味を維持している商品(ブランド)だ、とも言えるでしょう。
良い物を作るには手間と時間がかかり、それを手に入れるには、それなりの対価が必要なのは、今も昔も変わり無い事です。ましてや、美と健康のことともなれば、尚更のことでしょう。

大正15年、三条町(現在の新潟県三条市)は金物の町として栄え、多くの鍛冶屋が軒を並べていました。
ネイルニッパーの前身とも言える「喰切(くいきり)」の製作に着手し、その使い易さと抜群の切れ味から評判となり、後に諏訪田製作所を興すことになる小林祝三郎も、多くの鍛冶職人の中の1人でした。

戦後から高度成長期を経て、下駄や草履に変わって靴を履く様になった日本人の足は、欧米人並みの苦労を強いられる様になっていました。特に「巻き爪」は、爪が自分の足の肉に食い込む様に生えてくるので、大変な傷みを伴います。特にひどい場合、手術が必要になることも少なくありません。
「もっと良いものを!もっと切れ味の良い爪切りを!!」常々そう願い、向上心溢れる諏訪田の職人達に、この事実を見逃すことはできませんでした。「巻き爪の傷みに苦しむ人達を何とかしてあげたい」そんな思いがあったかどうかは...さだかではありませんが「世のため人のために役立ちたい」という思いは人並み以上だったことでしょう。
それまでの平刃の爪切りに改良を加え、新たに斜刃の全く新しい爪切りを作ることに成功したのです。
爪の甘皮まで切ることができるこの爪切り、巻き爪の方々からの賞賛は当然のこととして、医療関係者の間にまでその評判が広がって行くこととなったのでした。

現在では、プロのネイルアーティストやフットケアリストの必須アイテムに。美容に携わる人達の間にも浸透するほど、その切れ味とデザインは普遍的なものであると同時に、その製品に注ぎ込まれる技術は、非常に卓越したものである、と言えます。
現に実用面(医療としての側面)とファッション面(付加価値)の両面を併せ持つ道具は、そう多くありません。
一見それとは無関係な「職人魂」が、結果として「美容」というファッション分野にまで認められているという事実に驚きを隠せません。これからも、女性を美しくする為の舞台裏で、必ずこの爪切りが密やかに活躍していることでしょう。

text : WK

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