「LIFE」誌のフォトグラファーとして有名になったGordon Parks。彼の作品の中で最もよく知られている写真の1つは、グラント・ウッドの絵画「アメリカン・ゴシック」にちなんで名付けられた『アメリカン・ゴシック・ワシントンD.C.(1942年)』だ。モップが立て掛けられたアメリカ国旗の前に立つ、箒を持った知的な黒人掃除婦の写真は、ドローシア・ランゲの『移住者の母』そしてアンディー・ウォーホールの『マリリン』と並び、今では現代アメリカの聖画像と称されている程。
また、ニューヨークのハーレム地区のルポルタージュやパリのファッションショーのルポルタージュを作成したり、マルコムX、エルドリッジ・クリーバー、そしてモハメド・アリなどに関するルポを次々と発表。カメラマンとしての才能が最高の評価を受けた時期だ。その頃LIFEに掲載された彼の写真はとても印象的で、人々の心を揺り動かした。当時白人の思考を変えられたかも知れない、唯一のフォトグラファーだったと言われている。
Gordon Parksは、1912年カンザス州フォートスコットにおいて、黒人小農場主の15人兄弟の末息子として生まれた。忠実なメソジスト(プロテスタント系会派の1つ)であった彼の母親は、息子が黒人に生まれたことを口実にして失敗を正当化するのを許さず、自信と大志と重労働という能力を幼い彼に教え込んだ。
母親の死後(ゴードン15歳)は、バーでピアノを弾いたり、白人専用クラブで雑用係をしたり、豪華列車で給仕をするなど職を転々としたが、あるとき雑誌で見た出稼ぎ労働者の写真に感銘を受け、初めて「フォクトレンダー・ブリリアント」という二眼レフカメラを質屋で買ったのが、1938年のことだった。
様々な職業を経て得た差別的な体験や、彼自身のさまざまな経験の1つに、「VOGUE」誌のモード撮影のフォトグラファーという肩書きがあるのをご存知だろうか。在籍した数年間で、数々のストーリーを撮りおろしているが、これらクラシック・ヴォーグに掲載されたアーカイブは、自身も黒人という非差別人種に生まれ、最下層の生活を体験し、時代や社会を底辺から見上げる視点を養ってきたGordon Parksのファインダーを通して、その時代のその瞬間の空気感や価値観が、明確に映し出されている。最先端のファッションに身を包んで佇むモデル達の姿や表情からは、当時の世相や社会情勢までもが伝わってきそうなのは、フォトジャーナリズム、フォトエッセイの視点によるからなのか...。しかも、50年以上前にこれらのファッションフォトを「黒人」のカメラマンが撮影していること自体、今では想像もつかないことだったと思われる。
その後も自伝小説を執筆したり、それをハリウッドで映画化(自身が監督をつとめ、音楽と脚本も担当している)したりと、そのマルチな才能をいかんなく発揮。特に2作目の「シャフト」は、サミュエル・L・ジャクソン主演によるリメイク版が有名。大都会という名のジャングルで活躍する、がさつな黒人私立探偵の物語で、商業的にも成功し続編も製作され、テレビ版もシリーズ化された。この結果を受けてゴードンは、大規模な作品を手がけることの出来る黒人で最初の演出家としても認められた。「探偵シャフト」は、そのスタイリッシュなファッションや当時の黒人の社会的地位から、その「生き方」が支持されると共に、Gordon Parks本人とも重ね合わされながら、黒人の自己意識の偶像となっていった。
2006年3月7日、93歳でその生涯を終えた。彼が活躍した厳しい時代に、自身が目にし体験した差別や貧困などの経験から切取られたこれらのファッションフォトも、LIFE誌に掲載されたノンフィクション同様、今を生きる多くの人々の心や意識に訴えかけてくる「真実」を宿している様に思えてならない。
TEXT BY WK