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  • Posted on
    2010.01.16
  • posted by kenshin.

Sign Language








「手話」と聞いて想像すること。

「世界共通のジェスチャー?それとも、耳が聞こえない、きのどくな人のための優しさといたわり?」

まず大切なこととして、手話は世界共通のジェスチャーではなく、地域によって異なる「言語」だ、ということ。そして、身近に見かけるのは「日本手話」という言語で、更にアメリカには「アメリカ手話」、フランスには「フランス手話」、ケニアには「ケニア手話」という具合に、世界各地で異なった手話が話されているのだ。

それぞれに音声のことばとは違った独自の文法があり、長い歴史を持ち、ろう者達の間で、先輩から後輩へと受け継がれてきた言語なのだ。また、同じ日本手話でも地方によって異なる「方言」まで存在している。同じ単語でも、例えば東京と大阪では全く違った表現が存在する。手話に理解が薄い我々は、ただただ驚くばかりであるが、この様に豊かな方言があることを見ても、手話がもつ文化の複雑さをかいま見ることができる。

手話を話すろう者の間では、さまざまな文化が共有され、伝承されている。つまり、音を使わない、視覚や触覚を生かした文化、とでも言えば想像しやすいだろうか...。
主な習慣としては、例えば人を呼び止める時には、相手の肩を叩いたり、ヒラヒラと手を振ったりする。
広い場所で「全員注目!」と呼びかける時は、ブザーや笛ではなく、照明をチカチカと点滅させるのだ。
また、拍手は両手をパチパチとたたくのではなく、両手を上げてヒラヒラ振るという「視覚的な拍手」をする。
この他、会話のマナーやことば遊び、新語や流行語、ひとり言や夢に寝言などなど、ことばにまつわるあらゆることは、全て手話で表現できる。


更には、ろう者たちが手話で行う学問や芸術活動の数々、例えば手話言語学、ろう者の歴史研究、演劇や映画製作、落語や怪談などの話芸、手話の歌など。そして、手話を公用語として使う大学や学会もあり、博士号を持つろう者の研究者もいる程だ。
また、多くの種類の手話を使いこなすろう者たちは、世界中を飛び回って活躍しているし、若いろう者たちの中には、海外の手話を学んで留学を目指す学生達も多く存在している。
このように見ていると「ろう者は能力が無い、きのどくな人だ」というイメージは、聴者による勝手な思い込みなのだと気付かされる。ろう者の大学の学長を務めた、自身も耳が聞こえないキング・ジョーダン博士(アメリカ人)は「ろう者は、聞くこと以外は何でもできる」という有名な言葉を残している。聴者は、ろう者たちの文化の営みを、謙虚に学ぶ必要がありそうだ。

歴史的には、手話に対する無理解が、ろう者の活躍の幅をせばめてしまった、という現実もある。例えば、ろう者が大学に通うためには、音声で進められている授業に、手話や文字による通訳を配置することが欠かせない。しかし、バリアフリーの重要性があまり理解されていなかった頃は、大学が通訳配置にも消極的で「ふつうに勉強したい」というろう者の願いが叶えられないこともしばしばだった。だから「障害は、ろう者の耳にあるのではなく、社会制度の側にある」という意見も、決して的外れではない様に思える。
また、ろう教育では「聞こえない子供たちも声で話せた方が良い」という考え方に基づいて、厳しい発声訓練が続けられ、手話が音声より劣ったコミニュケーションと見なされたり、なるべく手話を使わせない様な指導が行われた時期もあった。今でも、ろう学校なのに手話を教えていないところが多い、という現実もある。また、手話を使える教員が少ないことも、その一因だと言われてはいるが、他人との違いを概ねマイナスに捉えがちな日本人らしい劣等感が、少なからず影響しているのかも知れない。

耳の聞こえない子供たちは、普段は主に家庭で覚えた手話で会話をしているが、日本のろう教育では「手話を使うと日本語の習得が遅れる」として、相手の唇の動きから言葉を読み取り、発声練習を重ねる「聴覚口話法」を採用してきた。しかし、子供たちは言葉の読み取りに集中するあまり、肝心の授業内容が理解できなくなるなどの弊害もあり、手話で授業を行う一方で、日本語を教える別の授業も並行して実施されるなど、さまざまな取組が進行している。そうした試行錯誤が、日本のろう教育の現状なのだ。しかし現在では、手話を法律で公用語と認めた国が幾つも存在しており、国連の障害者権利条約には「手話は言語である」と明記されていることでも解る通り、日本でも手話を活用するろう学校や、語学科目として手話を学べる大学が現れ始め、ろう者の教員たちも次第に活躍の場を広げている。手話が音声言語と対等なことばとして認められる時代は、すぐそこまできているのかもしれない。


アフリカでもヨーロッパでも、世界中どこの国でも手話をはなす子供たちの笑顔は、はじける様に明るい。だから「きのどくな人を支援しよう」と考えるのではなく、「まずは、相手のことを教えてもらおう」という姿勢が大事なのではないだろうか。どんな人間であれ、最初は相手のことが解らないものだ。聞こえるかどうか、話せるかどうかは無関係。相手を認め、そして理解することが、コミュニケーションにおける最も大切なことだと思う。

以前このTHE MAGAZINEに掲載された、米マサチューセッツ州・ヴィニヤード島についてのトピック「みんなが手話で話した島」(カルチャー)でも紹介されているが、その島の島民達には、そもそもろう者に対して「障害のある人」という認識が全く無かった。したがって、バリアフリーの本当の意味とは、環境やハード面の整備ばかりではなく、障害を「個性」として受け入れられない私たちの、心の壁や段差(バリア)を取払うことに他ならない。



[Reference]

亀井伸孝著/『手話の世界を訪ねよう』




text by wk

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