Extreme Ironing(エクストリーム・アイロニング)という、「人里離れた場所でアイロン台を広げて服にアイロンを掛ける」スポーツが存在している。このスポーツのプレイヤー達はアイロニスト(ironist)と呼ばれており、そのフィールドは極めて広範だ。難易度の高いクライミングを伴う山の斜面や、森、カヌーの上、スキーやスノーボード、サーフィンの最中、大きな銅像の頂上、大通りの真ん中などで、アイロン掛けの目的をほとんど無視して、スキューバ・ダイビングをしながら行うこともある。
「極限状態の場所で平然とアイロン台を出し、涼しい顔でアイロンがけを行う」事が基本原則であり、衣服のシワを伸ばすというアイロンがけ本来の目的は、さほど重要視されない。その為、海中や空中、砂漠の真ん中も当然このスポーツの舞台となり得る。
このExtreme Ironingの醍醐味とは、極限の状況でスポーツを行うという刺激と、アイロンを掛けたときに得られるスッキリとした満足感を組み合わせたものと言われている。しかしこれらの行為は、一見パロディやいたずら、もしくはただのパフォーマンスの様に見られがちだが、アイロニスト達の多くは「極めて真剣」に取組んでいるというからユニークだ。英ガーディアン紙はこのスポーツについて「イギリス人の持つeccentricity(奇行)の伝統を踏襲したスポーツ」と紹介している。また、この競技に関するイベントの多くには、家電製品のメーカーであるRowenta(ロウェンタ社)がスポンサーとして参加していることでも知られている。
イギリスのイースト・ミッドランズ地域にあるLeicester(レスター)の住人、Phil Shawが自宅の裏庭で行ったのが始まりとされており、現在イギリスをはじめ、フランス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、オランダ、クロアチア、アメリカ合衆国、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国、日本など、世界各国へと広がった。ただ、このスポーツが考案されて以後、本流からの分派を自称する〝Urban Housework(都市における家事労働)〟という、アイロン掛けの代わりに野外で掃除機をかけるグループが出現。このグループの行為(例えば、掃除機で落葉等を吸い上げる)は、「植物の腐食を妨げることで堆肥化を阻害している」という理由で、アイロニスト達からは邪道として見做されており、今なお論争は続いているという。
Extreme Ironingは、数あるエクストリーム・スポーツの中でも、格段に刺激的なスポーツだと言われている。それゆえに各アイロニスト達には、特に常識的な行動や倫理観が求められる。街中や子供達の目に触れる場所でのアイロン掛けには、十分な配慮が必要となるし、アウトドアでは常に事故や怪我と隣り合わせにあると言ってよい。ならば何故、そんな危険なスポーツにあえて挑むのか?そこには、現代社会の底流にある「自己顕示欲」というエゴが、深く関わっているように思われる。
十分に鍛え抜かれた肉体を持ってしても難しい極限の状況で、あえて余裕を見せる。その極限状態の中でアイロン掛けができること、更にその状況に清々しさを感じられる程の余力を残している自分に酔いつつ、環境そのものを楽しむ。そんなナルシスティックなエゴに支えられているスポーツなのである。ボディービルやエアロビクスなど、自分自身を突き詰めていくスポーツには、ある種共通の感覚だとは言えまいか。
近年のマラソンブームは、スポーツのファッション化をより一層進歩させた。神宮外苑などでは休日ともなれば、各々特定のスポーツメーカーのウェアに身を包みジョギングする若い女性達で埋め尽くされ、東京マラソンへのエントリー数も過去最高を記録した。また、森ガールから派生した山ガールなどもそうだが、オシャレな場所をオシャレな格好でジョギングしたり、トレッキングやハイキング、カジュアルな登山などを趣味とすることが、1つのスタイルやステータスになってきているのだ。
ともすれば、個人が埋没してしまいそうなほど情報化が進んだ現在、自分自身の存在や居場所を見出し難い世の中になってきているのは、世界共通の潮流である。それと符号するかの様に自然回帰や無農薬食品などの流行が存在し、自分の肉体や精神をもオーガニック化させたい、という願望が顕在化してきているのかも知れない。
逆に考えると、自分の存在しか感じられらない様な過酷な環境下でわざわざアイロン掛けをしてまで伸ばしたいのは、本当はシャツのシワではなく、『心』のシワなのではないだろうか...と。
[reference]
http://www.extremeironing.com/
Extreme Ironing Japan
text by wk