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  • Posted on
    2010.09.08
  • posted by kenshin.

イオマンテ




イオマンテ、と言われる儀式があります。 日本の少数民族であるアイヌが今も伝承している、重要な儀式です。 イオマンテは熊送り、とも言われ、 狩りでヒグマなどの獲物の命を奪った際、その霊を神々の世界に送り帰す儀式のことを指します。
単にイオマンテという場合、ヒグマの霊を送るイオマンテを指すことが多いのですが、 本来は狩りの獲物として命を奪う対象全てに対し、イオマンテがあるとも言われています。
イオマンテは地域によって異なり、シマフクロウの霊を送るイオマンテを重視する地域もあれば、 シャチの霊を送るイオマンテもあるそうです。

現在も継承されている、代表的なヒグマのイオマンテは以下のようにして行われています。 冬の終わり、アイヌの集落では、穴で冬眠しているヒグマを狩る猟が行われますが、 穴に仔熊がいた場合、母熊は殺して毛皮や肉を収穫する一方、仔熊は殺さず、集落に連れ帰ります。 仔熊は、人間の子供と同じように家の中で、乳児がいる女性が我が子同様に母乳を与え、皆にかわいがられて育てられます。
かつては、集落の子供たちと仔熊が相撲をとって遊んだこともよくあったそうです。 仔熊の成長に従って、屋外に丸太で組んだ檻を作り、そこに移しますが、上等の食事を与え、やはり大切に育てます。
1、2年ほど育てた後、集落をあげて盛大な熊おくりの儀礼が行われます。

イオマンテの準備は1年程前からされることもあり、神々の世界へ帰る仔熊の為に様々な土産が用意されます。
祭壇が飾られ、神への祈りの後、仔熊は檻から出され、唄や踊りが捧げられます。 仔熊に最後の御馳走が捧げられた後、人々は仔熊に、神の国に帰すときが来たこと、 あちらの世界に行ったら、神々や親たちに、人間たちが如何に仔熊を大切に育て、もてなしたかを伝えて欲しいこと、 そして再び自分たちの元を訪ねてきて欲しいこと、を伝えます。
その後、仔熊に矢がかけられ、丸太で首を挟んで屠殺します。 仔熊の死体は祭壇に祭られ、神の国へ帰る仔熊の霊に、様々な土産が捧げられます。 殺された仔熊は、祈りを捧げられながら厳密なルールに則って丁寧に解体され、その肉は集落の人々にふるまわれます。
神の国へ帰る仔熊の霊に感謝し、様々な唄や踊りが捧げられ、儀式は数日続くこともあるそうです。

アイヌでは、イオマンテによって送られた仔熊の霊は、 神々の世界に帰った後も人間の集落で大切に育てられ、もてなされたことを忘れず、 再び肉と毛皮を土産に携えて人間の世界に戻ってきてくれると信じられてきました。

熊おくりに似た儀式は、アイヌだけでなく、本州の狩猟を生業とするマタギの間にも見られます。 山形県小国町では、マタギ達が獲物である熊の霊を送り、山の神に感謝を捧げる「熊祭り」が毎年行われています。

また、カナダの北極圏に住むチペワイアン・インディアンには、 彼らの主要な食料源であるトナカイとの間に、イオマンテを連想させるような関係があります。 チペワイアンは長らく、夏はサケなどを獲り、冬はトナカイを獲るという狩猟生活を営んできた部族です。
チペワイアンの間では、トナカイは自分たちが飢えている時には、自らの肉を与えに、人間の元を訪れてくれるという信仰があります。
彼らはトナカイを狩る時、トナカイに敬意を払い、その霊を送る儀礼を行います。 狩りのやり方や屠殺方法、そして骨の処理法などには、トナカイに失礼のないよう、様々なルールが存在します。
敬意を払い、感謝をもって送られたトナカイの霊は、いつか再び肉体を得て、自分たちの元に肉を与えに戻ってきてくれるのだそうです。

長く続けられてきた伝統的な生活では、夏のサケ漁が終わり秋が訪れると、チペワイアンの男たちはトナカイの群れを探す旅に出ます。
女や子供、老人たちはキャンプでひたすら、男達の帰り待ちます。
チペワイアンの暮らす地方では、この時期、トナカイ以外の食料が乏しいため、 残された者たちは、ほとんど食事をとらず、できるだけ体を動かさず、男達はトナカイの肉を持って帰って来るのをひたすら待ち続けます。
狩りは一つの賭けであり、もし男達がトナカイの群れに出会うことができなければ、部族は飢餓に陥ることになります。
残された者たちの、空腹に耐え、何もせずひたすら待ち続けるという行為が、 精神的に非常に厳しいものであることは想像に難くありません。 それでも彼らが待ち続けることができるのは、トナカイに対する絶対的な信頼があるこそからだと考えられています。
アイヌと熊、チペワイアン・インディアンとトナカイのような、 狩猟者と獲物の間に見られる関係には、一方的に命を奪い、奪われる関係ではなく、 人間と、犠牲となる動物との間に、ある種の絆があるように感じてしまいます。 犠牲となる動物の思いを知る事ができない以上、それは人間側の一方的な思い込みに過ぎないかもしれません。
しかし、そこには共通して、肉を与えてくれる獲物に対する、人間の大きな敬意と感謝が紛れもなく存在しています。



アイヌのイオマンテでふるまわれる肉は、 自分たちが我が子同様に可愛がり、そして自らの手でその命を奪ったの仔熊の肉です。 仔熊に矢を射り、丸太で絞め殺すとき、やはり参加者は悲しくて泣いてしまうと言います。 江戸時代から度々描かれてきたイオマンテの絵図にも、必ずと言っていい程、泣き崩れる女性の姿が登場します。
しかし、それだけに、仔熊が命と引き換えに与えてくれる肉や毛皮に、言葉に表せないほどの感謝を抱き、大切に頂くのだそうです。

命を与え、自分たちの食物となってくれる犠牲者への、大きな感謝と敬意は、 狩猟というダイレクトな命の遣り取りの中では、 人間として、ごくごく自然にわき上がってくる感情なのかもしれません。
愛しい仔熊の命を自らの手で奪うという、イオマンテの儀式は、 食べ物なって命を与えてくれる熊や大地によって自分たちが生かされているという実感と供に、 彼らへの敬意と感謝を心に刻み込む儀式のように思われます。

過去に The Magazine post-33 食べるということ でも指摘されたように、 人間は「食べ物でいのちを繋いでいる」に他なりません。
そして、その食べ物は、すべからく他の生き物の命を奪った結果と言えます。 私たちの日々の食事も、他の生き物の命を奪って糧にしているという点では、アイヌやチペワイアン・インディアンと変わりありません。
殆どの人にとって、自らの手で獲物の命を奪うという狩猟は縁遠く、食卓や食料品店から、見事に死の匂いが見事に消されている現在、 イオマンテは、人間が他の生き物の命を奪っていのちを繋いでいるのだという紛れもない事実と、 食べ物や、それを与えてくれる自然に対して、人間がごく自然に、強い感謝や敬意の念を持つことができることを教えてくれます。


Text by K.A

[reference] 

宗教と生態-チペワイアンの神話と生態/煎本 孝

日本の歴史と芸能/平凡社

ところ 北海道北見市常呂町の写真と植物 (http://www7.ocn.ne.jp/~gooyam/)

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