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    2010.06.20
  • posted by kenshin.

クマリ ~ ネパールの生きた象徴 ~







ヒンドゥー教と仏教が共存する国ネパール

数千もの神々がいるとされておりその中にネパール独特の生き神、処女神『クマリ』が存在する。 絶大な力を持ち幸運をもたらすとされ病気の治療、願望を叶える祈願など多くの人々から信仰を集めている。

また国の運命を占う予言者でもある。しかしネパールにおけるクマリの信仰の歴史は今なお伝説と謎に包まれたままである。クマリという名前を持つ女神が、非常に長い間、少なくとも6世紀早々以降からは確実に崇拝されてきたという証拠は存在するが生けるクマリを崇拝するという習慣の起源は明らかになっていない。


クマリとはネパールに住むクマリの化身である。ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、ネパールの守護神タレジュの生まれ変わりとされている。

ヒンドゥー教と仏教とが複雑に混ざり合いその独特の文化の象徴としてクマリ崇拝がある。

元々、クマリはヒンドゥー教の女神なのだがしかしクマリとして選出されるのはネワール族の仏教徒のカーストのシャーキヤ(金細工師)に属していなければならない。

なぜヒンドゥー教の神であるクマリが生ける顕現として異教徒である仏教徒の少女選ぶのか? これにはいくかの逸話があり、それらはクマリ崇拝にの起源を物語るものだとされている。

逸話には共通するシナリオ構成が存在していて神であるタレジュあるいはドゥルガーが王の失態に怒り消えてしまうが、地位の低い仏教徒のカーストの少女に宿るという筋書きである。

実質的にはヒンドゥー教徒が仏教徒を支配するという過程で生まれた二重構造によってクマリ信仰が生まれたとされている。被支配者層の仏教徒であるネワール族から選ばれたクマリにヒンドゥー教徒である地位の高い王が地位の低い階層から選ばれた少女に祝福され崇拝する事で王権の正当性を持ちヒンドゥー教と仏教が混在しながらも宗教戦争に至らないという独特の文化を持ったのがネパールなのです。

  クマリの選出は先ず、シャーキヤ・カーストから候補者として選出された美少女たちを選定委員会が、身体的、精神的な検分を行うことから始まる。選定委員会には、ヒンドゥー教祭司と仏教僧が含まれている。

身体的には、健康で重病に患った経験がないこと。特に身体上に傷を残したり、出血を伴うような病歴がないことが重視される。精神的には、平静で、落ち着きがあり何者も恐れないことが要求される。

 次に、女神の32もの条件をすべてあわせ持っていることが審査される。(1均平のとれた足2、獅子の様な胸3、アヒルのように、澄んでやわらかな声4、黒い髪の毛5、小さな繊細な舌、、、他) そして、候補者がクマリになるのはダサイン祭という祭りに宮殿内の魔人に見立てられた水牛や山羊、鶏などの頭が切断された血の海を歩いて女神タレジュの祠へ辿り着かなければならない。この時少女は、泣いたり、怖がったりしてはならず、平静な態度を保たなければならない。この厳格な試練を経て、少女は祭司に導かれ就任儀式用の礼拝部屋に入る。そこで少女の身体から、以前の生活経験を取り除く浄化儀礼が行われ女神の精霊が入るべく、完全な容器としての身体になる。そしてクマリとしての装備が整えられ生ける神になるのです。

そして両親の元を離れクマリの館で女神クマリとして社会と隔離され一年に一度のインドラジャトラの大祭の時に山車に乗って街を巡回する以外はケガなどなどよる大出血や初潮を迎えるまで館から外に出る事はない。

人間の性格を構成する時期に軟禁状態で感情を出さないように教育され自分の意志とは関係なく物心つく頃にはクマリとしての自己が出来上がっているのです。一般教育も受ける事ができず時期(初潮)がくれば神性を失い社会に戻されるのです。本来ならば喜ばしい成長しるしが今までの世界からの終わりを告げるのです。
神として生きてきた少女が一般社会に馴染むのにはかなりの努力が必要なのです。生涯年金が保証されるそうなのだが社会に馴染めずくらしていく元クマリもいるのです。また迷信としてクマリであった女性と結婚した男性は早死にすると言うものがあり、結婚もさけられたりするそうです。実際には多くの元クマリは子どもを授かり幸せにくらしているそうです。 一日で今まで暮らしてきた世界から全く見た事もない知らない世界に飛び込むのですから私には全く想像もつきません。こういった観点から人権擁護団体から人権侵害、幼児虐待、にあたるとして避難の声がている。

ネパール最高裁判所が、少女を生き神として隔離し、信仰対象とする同国の風習が子どもの権利違反を定めた法律違反にあたるか調査するよう、政府に命じた。そして最高裁は『クマリが、子どもの権利条約の保障する子どもの権利を否定されるべき根拠は歴史的文書にも宗教的文書にもない』とし、クマリには教育、行動、食事の自由などがが認められるべきであるとした。
確かに人権問題という言葉の観点からすれは確実に問題だとは思う。

しかし私は外から口を出していいものか?この判定から神聖なものが神聖ではないものになったような気がします。何世紀も前から続くこの歴史を終わらしていいものか?私には答えられません。ただ明らかな事はネパールの人々にとってクマリは宗教であり国の象徴であることは今も昔も変わらないことなのです。


2008年王制が幕を閉じネパール連邦民主共和国として新たに歴史を刻みだした今もなお、人々に愛されクマリは国の象徴として存在し続けている。




参考資料

カトマンドウの谷のクマリ ー 磯 忠幸

クマリ信仰 ー マイケル・R・アレン

Wikipedia 





text by GM






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