21世紀に入り、ますます混沌とした世界となりつつある昨今。
地球規模で天変地異が起こり、日本も含め世界経済も日々揺れ動きはじめている。
最近ではギリシャの財政破綻、タイの暴動など各国の事情に少なからずとも目で見えるほど変化が起こっている。
只、流通や情報がフラット化しているにも関わらず、本当に大切な物事はマスメディアから聞こえてこないのはなぜだろうか?
人々の心に届く事なく忘れ去られている物事は近代化した世界になっていくほど、増えているように思える。
そこには、世界経済の発展の中、各国の政治的な駆け引きや欲望が渦巻、友好という名の下で情報戦線が行われ、損得が繰り返されているのが少なくとも、理由の一つだろう。
そんな中、少なからずとも人々に光を感じ取られる物事が存在していた。
今、現段社会が忘れかけている出来事が、約100年以上前に行われていた。
エルトゥールル号遭難事件である。
そこにはこんなエピソードが伝えられている。
1890年9月16日、嵐の夜だった。和歌山県大島村樫野崎燈台。いつもは静かな海も台風で大荒れだったため、燈台守の滝沢正浄氏は何も起こらないことを願いながら日誌を書いていた。 ところが突然、血だらけの外国人が助けを求めて来たのである。夜の岸壁は遭難者であふれ、さらに海岸には数多くのけが人たちが流れ着いていた。それまで外国人を見たことさえなかった村人達は、総出で救助にあたり、懸命に看護した。
言葉がわからないため、海での万国共通ルール、万国信号書を使って片言の会話を交わした。難破した船はトルコの軍艦エルトゥールル号であることがわかった。エルトゥールル号は明治天皇への使節団として6/7に横浜港に入港したが、その帰りに台風に見舞われ座礁、沈没してしまったのだった。
犠牲者は587名になったが、それでも村人達により69名が救出された。
ところが大きな問題があった。大島村は貧しい村で、痩せた土地に暮らす人々は毎日の魚を捕って食べるのがやっとというくらいだったのだ。怪我をしたトルコ人たちに与える食料も早々に底をついたのだが、村人達は非常用に飼っていた鶏をつぶし怪我人たちにふるまったのである。
エルトゥールル号の遭難は和歌山県知事に伝えられ、天皇にも言上された。さらに美談は日本中に伝えられ、多くの義援金が寄せられて治療にあてられたのである。そして政府から治療にかかった費用を請求するように言われたが、村人達はそれを受け取らずにすべてトルコ人たちへの義援金に回した。
その甲斐あって快復したトルコ人たちは軍艦「金剛」によってトルコに帰還することができたのである。
ただ、この出来事は終わらず伝えられていた。
そして、歴史上まれに見る大きな架け橋となった。
1985年イラン・イラク戦争が勃発した。イラクのサダム・フセインは「40時間後にイラク上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」と発表した。イラン在住の日本人達は、慌てて空港へ向かったが、どの飛行機も満席で乗ることが出来なかった。各国では自国民を救出をする為に救援機を出したが、日本政府はいつものごとく素早い決定が出来ずにいた。現地に取り残された邦人達はパニックに陥り、タイムリミットは刻一刻と迫る、もはや万事休すと思われたその時・・・なんと、そこへトルコ航空機が現れ、間一髪で邦人215人を救出した。
只、彼らが何故日本人を助けに来たのか、日本政府もマスコミも知らなかった。
現在にも明確な声明は出されていないが、後に前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語っている。
「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」
まさに本当の意味で友好とはこうゆう事だと痛感させられる。
昨今に失いかけているGIVE&TAKEの本質はここにあるのだろう。
残念な事にこうした真実であるエルトゥールル号の話は日本では教科書に掲載されていません。
最近になり、WEB上でこのような真実を伝える人々がいる中で知る事ができた事柄であるが、昨今の情報戦の中、マスメデイアにおける発信は、各国の都合が重なり、真実を明確に知る事が出来ないのが現状。近代化されていく事の代償でもあり、何よりも、無意識に人々の心が混沌としていく要素はここにあるのだろうと思う。
辛いニュースや本当かどうかわからない情報が流れている中、人々は客観的に情報をかき分けて、何が真実で、忘れてはいけない物事は何なのかしっかりと五感を研ぎ澄まし、日々を過ごす事が大切であり、そうして文化を残していくのも、現代の人々の使命であると思う。
こうした、目に見えない情報や事柄は、歴史上の中でももっとたくさん埋もれているだろう。
更なる未来に向けて、本当に大切な事は、人々の心から心へ伝えていけたらと切に願う。
これは21世紀を生きる上で重要なキーワードになるだろうと改めて強く感じる。
reference
wikpedia
green hornet
text by HM