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  • Posted on
    2010.05.02
  • posted by kenshin.

現代社会が築き上げた価値観 〜ヤノマミ族に学ぶ〜




現代社会は、昔より違った角度の問題を抱え出しています。
少子高齢化、自治体破産、企業倫理の崩壊、自然災害の恐怖、猟奇犯罪の多発などの 日本社会が抱えている問題に起因してか、今あらためて人と人との思いやりや道徳心といったことが叫ばれ始めています。
確かに、昔はもっと人同士の心遣いや関係に温もりがあった気がします。
例えば昭和と平成を比べてみても、その差は歴然としている様に思えます。
現代社会が作り上げてきた法律や価値観は間違っていないと言えるのでしょうか?
もっと人類の歴史を遡るとどうだろう?何かが変わったのでしょうか?


欧米人に"最後の石器人"と呼ばれているヤノマミ族は、南米のベネズエラからブラジルの国境付近に近い森林に居住してます。
「ワトリキ(風の地)」と呼ばれる集落に、シャボノというドーナツ形の草葺きの住居を作り、およそ1万年前からアマゾンの奥地に住んでいると考えられてきました。彼らは、外部との接触を殆どもたず、文明化が著しい先住民の中にあって、独自の文化や原始から続く伝統や風習を保った極めて稀な部族だと言えるでしょう。
1つの集団は40~200人で、広大な森に分散して暮らしています。熱帯のジャングルの中、陰部を隠す下着状の衣類以外は身に着けていません。森での狩りは弓矢などを使った原始的な方法で、小規模な農耕、樹液から採ったしびれ毒による漁などを生業としていて、何日も猟に出ては、猿やイノシシ、鳥などのあらゆる動物を追い続けます。そして全ての収穫物と肉や魚は、集団で公平に分配されるのがルールです。
この様に、原始的な生活をしているヤノマミ族ですが、その子供たちは捕まえた動物の死骸やその腹の中の胎児なども平気で触って、それをおもちゃ代わりにして遊んだりしています。家の中には猿を干した食べ物が、ぶら下がっていたりと、幼少時代から隣に死というものが横たわった中で成長していくのです。文明社会の価値観では、かなりショッキングな光景が多く見られます。
また、男尊女卑を基調とした社会構造が特徴なので、男同士の争いが絶えず、部族間の戦闘も多いとも言われています。
彼らの世界観では、自分たちだけが「ヤノマミ(かれらの言葉で『人間』という意味)」で、外から来た人間は「ナプ(人間以外の者)」と呼ばれます。
更に衝撃的なのは、ヤノマミ族の出産です。森の奥で女性だけで出産をし、胎児の胎盤を森に吊るすという儀礼があります。妊婦以外の女たちが出産の手助けをしますが、男は全く関わりません。

基本的には一夫一妻で、結婚せずに出産する場合もあります。そして、 出産直後の胎児を「精霊」として扱っており、生まれてすぐに人間として受け入れるか、精霊として天にかえすか、母親が決めなければならないのです。へその緒がついたままで産声をあげている赤んぼを地べたに置いて、母親が育てると決めるまでは抱き上げようとはしません。
周囲の女たちが何か助言することはなく、夫などは出産に関与しないどころか関知もしません。
しばらく母親は考え、子供を人間として受け入れれば抱き上げて連れて帰る。 精霊と見なした場合、子供を植物の葉でくるみ、アリの巣に入れてアリに食べさ、そのあと巣に火をつけます。
ひとつの集団で毎年20人の子が産まれ、半数が精霊として天にかえされるといいます。


また、日本でも、戦前まで、「間引き」といって、産まれたばかりの赤ん坊を殺してしまうことで一家のこどもの数を調整していました(堕胎も行われていましたが、母胎への影響を考えると、間引きのほうが安全確実だったのです)。間引きの実行者は母親本人もしくは、トリアゲババア、つまり産婆でしたが、間引くかどうかの決定権は、おもにその家の姑が握っていたとされています。
間引きというのは、日々の食料にも事欠くほど貧しくて、こどもを養えないので涙ながらに仕方なくやるものだろう、とドラマチックに考えがちですが、しかしどうも実際には、ある程度の生活水準を維持するために、あえてこどもを増やさないという例も多かったようなのです。

今も昔も日本人は、生活水準を落とすことを嫌ってこどもを持とうとしませんでした。 そして、現代は史上もっとも子殺しが少ない時代といわれていますが、近頃のニュースでは、トイレやロッカーなどに生まれたばかりの子供が捨てられ、法律や価値観が変わっても、理想とするこどもの数と現実に産むこどもの数が一致した時代は、人類の歴史上一度たりともないという現実があり、どんな民族も、その時代その環境の中で、生き延びるために必要な生き方を学ぶことで、文明を築いてきたということではないのでしょうか?

現代ではタブーとされる、暴力、差別、男尊女卑、殺人、麻薬、DV、虐待、戦争などは、ヤノマミたちの生活の中にも該当しています。

彼らの様に自然と共に生きる、ということが最も道徳的であるというならば、現代のタブーそのものに対して矛盾を感じてしまいます。
先進国の考えだけが正しいはずも無いのです。
人間もまた数多ある生き物のひとつであり、大いなる自然の循環の一部であり、そんな根源的な現実を、あらためて感じてしまいます。
21世紀に突入し、膨大にふくれあがった人口はこれからどこへ行こうとしているのでしょうか?



reference

ヤノマミ  国分拓 (著) 

Wikipedia




text by J


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