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  • Posted on
    2009.06.08
  • posted by kenshin.

最南端の衣服







「岸に向かった時、我々は6人のフエゴ人たちの乗るカヌーと隣合った。

私はこれほどみじめな者たちを見たことがない。

成長が妨げられ、そのひどい顔は白い塗料で汚れている。

そしてほとんど裸なのだ。

ひとりの年老いた女も同様の格好をしていた。

  (中略)··· このような人々を見ると、

彼らが同じ世界に住む仲間であるとはほとんど信じられない。」

                                     (チャールズ·ダーウィン ビーグル号航海記)



   現代生物学の基礎とも言える「種の起源」を発表する27年前の1823年、 当時23歳だったチャールズ·ダーウィン は南米大陸南端に位置するフエゴ群島を 博物学の調査で訪れた際、この地に原住する人々と遭遇しました。
フエゴ群島は南緯55°、木々が曲がって生えるほどの強風が一年中吹き、 夏でも平均気温9℃前後、冬には氷点下20℃以下を記録することもある冷涼な土地です。
また、一年を通して冷たい雨がよく降る、人が生きていくには必ずしも易しい環境とは言えない土地であり、 現在でも各国の南極基地を別にすれば人類が生活している最南端の土地でもあります。
ダーウィンの日記には、そんな厳しい土地で裸同然の格好で生きている人々から受けた衝撃が、 当時の"文明人"らしい拒絶反応と共に記されています。
果たして、ダーウィンが"みじめな者たち"と記したフエゴ群島の先住民たちは、 この世界最南端の厳しい土地でなぜ裸同然の格好で生きていたのでしょうか?



<ヤマナ族の衣服 >

  ダーウィンが出会った人々はヤマナ(YAMANA)族と呼ばれる狩猟採集を生業とするグループでした。
彼らはアザラシ等の海洋ほ乳類を狩り、貝やウニなどを採集して暮らしていたようです。
主に狩りは男性の、採集は女性や子供の仕事とされ、特に女性は冬でも裸で海に潜ってウニなどをとっていたそうです。
そんな彼らの服装は、ブーツとふんどしのような下帯だけの裸同然の格好の上に、毛皮をかけただけのものでした。
そして、狩りなどの際にはしばしば毛皮は脱いでいたようです。
16世紀以降に彼らと初めて出会ったヨーロッパ人たちは、彼らがこの冷涼な土地で肌を多く露出していることに大変驚き、 彼らを憐れみの目で見たようです。
しかし、ヤマナの人々の格好は雨の多く、風の強い冷涼なこの土地に最も適した格好だったのです。
ヤマナの人々は、寒く風のある状況では、濡れた衣服を身に纏っていることは命取りになること、 そして、人間の身体は火のそばにある時、服を着ているよりも裸の方が早く暖まることをよく知っていたのです。
彼らは雨が降ると素早く毛皮を脱いで仕舞い、裸の身体を雨に打たせるままにしました。
そして、体温が低下する前に素早く火を起こし、身体を暖めていたのです。

また、彼らは獣の脂と特殊な染料で作ったグリスを全身にくまなく塗っていました。
この特製のグリスが保温と防水の役割を果たし、毛皮が無い場合でも雨風や寒さから彼らの身体を守っていたのです。 見方によれば、このグリスこそがヤマナの人々の衣服であったと言えるかもしれません。
一見、裸同然に見えるヤマナの人々の格好は、雨の多く、冷涼なこの土地の環境に見事に適したものだったことがわかります。
着込むのではなく脱ぐという発想、布や皮の替りにグリスを塗るというアイデアには、人間の知恵のすごさを感じてしまいます。



<洋服とヤマナ族の最期>


  19世紀以降、ヨーロッパ人たちのフエゴ群島への入植が本格的になるにつれて、 ヤマナの人々急速に追いつめられ、滅びの道を辿っていきました。
1848年の調査では、3000人が確認されたヤマナの人々は、1984年にはわずか587人にまで減少し、 現在、ヤマナ族の生き残りはチリに住む Ursula Calderon さんという女性だけになってしまいました。
彼らが滅んでいった原因は、入植者たちとの抗争、入植者たちによるアザラシの乱獲による食糧の減少など数々ありますが、 入植者たちによってもたらされた疫病の流行が大きかったようです。
中でもある時期、ヤマナの人々のあいだに風邪が大流行し、耐性のなかったヤマナの人々が次々と亡くなっていきました。
この風邪の大流行の一因であると考えられているのが、興味深いことに、宣教師たちがヤマナの人々に定着させた 「洋服の着用という習慣」だったそうです。
衣服を濡らすという経験も、濡れた衣服を乾かすという習慣も、雨具も持ってこなかったヤマナの人々は、 雨が降ってもすぐに脱ぐことのできない洋服を、濡れたまま乾くまでそのまま着続けていたのです。
また、洗濯という概念も持たなかった彼らは、汚れたままの洋服を着続け、衛生状態の悪化も招いていたようです。
これらが、間接的にしろヤマナの人々の間に風邪の大流行を招いたのではないかと考えられています。
異なる環境、異なる文化で生まれた洋服という衣服が、ヤマナの人々の中では機能せず、 悲劇的な結果を招いたしまったと考えることができます。

グローバリゼーションが進み、世界中で同じデザイン、同じブランドの服を着ることのできる現在、 最南端の厳しい土地で、敢えて服を着ないという知恵を持ちながら、 自らの文化の中になかった服を着たことで不幸にあったヤマナの人々の悲しい歴史は、 衣服というものが我々の環境や文化と切り離せないものであることを思い出させてくれます。


(K.A)

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