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  • Posted on
    2011.03.28
  • posted by kenshin.

阪神大震災経験からの被災対策

2011年3月11日 14時46分、三陸沖の深さ24km、マグニチュード9.0の大地震が発生した。その規模は阪神大震災の180倍の威力ともいわれている。私は阪神大震災の発生時、淡路島に住んでいました。その当時私は小学生でしたが今もその時の記憶が鮮明に残っています。私の住んでいた場所は淡路島の南部でそこ迄の被害はありませんでしたが、下から突き上げる様なとても強い揺れを経験しました、タンスは倒れ、学校にはヒビが入ったり、被害があまりなかった南部でさえそれぐらいの衝撃を感じました。揺れより何よりも、地震後、父と二人で北淡に行きボランティアに参加した時に、倒壊した家の姿、その風景が一番記憶に残っています。ボランティアの内容は荷物の入った段ボールただ積み上げていくだけでした、今思えばそれぐらいしかできる事はなかったのだと思います。復興するのはとても長い時間がかかることも小さいながら感じたのは記憶にありました。
今後長引くであろう避難生活で生じる問題と今の余震が続くと自分もいつ被災するかわかりません
地震時の基本的緊急事態対策を添付します。


地震の際の対応
家庭内
大地震発生!皆が最初に考えるのは、『コンロなどの火を消す』ではないでしょうか?
これは、半分正解だが、完全な正解ではありません。
なぜなら、関東大震災の頃に比べて、地震大国の日本の技術は進歩しているからです。
現在の家電製品、得に熱を扱うものに関しては防災システムが搭載されているものが多くなっています。地震の際に、自動制御で止まるものも多くなっているので、自分の家のガスコンロやストーブの仕様を確認しておきましょう。
つまり、現代では地震が起きたからといって、揺れている中、ガスコンロを止めにいくくらいなら、自分の安全を確保した方が遥かにマシなのです。
地震が起きた時には、机の下に隠れろ!と学校教わった人も多いと思いますが、それも半分だけ正解。直下型の縦揺れの地震の場合は、家が崩壊し圧迫される場合もあるからです。しかし、通常の横揺れの地震の場合は、家の外では瓦などが飛んでくる場合があるため、室内の方が良いとも言えます。この辺りが難しいところですが、どのタイプの地震でも、比較的安全な場所もあります。
それは、浴槽です!まず湯船の中に入れば、柱などが倒れてきても大丈夫で、上部に荷物を置いていることはまずありません。次に水を確保できる可能性があり、万が一閉じ込められても排泄も可能です。風呂桶をヘルメットの代わりに使用することもできます。
では、瓦礫の下敷きや閉じ込められた場合はどうすればいいでしょうか?まずは呼吸の確保です。また身体に異常がない場合であっても、瓦礫に埋もれたり、体力の消費を防ぐため、下手に動かない方がいいでしょう。人間は、飲まず食わすでも2-3日なら生き抜くことが可能なので、助けが来ることを信じて待ちましょう。大切なのは生きようとする意志です。

いざという時に役に、ホイッスルは非常に役に立ちます。携帯電話が壊れた場合など、声では体力の消耗が激しく、喉もやられてしまいますが、ホイッスルだと、大きな音が簡単に出せるため、発見される可能性が飛躍的に上がるでしょう。


会社などのオフィスビル
基本的に高い階層ほど揺れの影響は強くなります。最近、設計されたものは簡単には崩壊したりはしないので、注意するのは落下物やガラスの破片等です。割れたガラスによる出血やガラスの外に放り出されないように、窓際にいるのは避け、落下物で怪我しないように机の下などに隠れましょう。

デパートの中
ショーウインドーや家電製品がある場所は重いものもあるので非常に危険です。手にカゴを持っている時などは、かぶって頭を守りましょう。
映画館や劇場

柱がないため、天井が落下してくる可能性がゼロではありません。万が一、落下してきても直撃しないよう椅子の間に頭をうずめて身を守りましょう。


エレベーターの中

最近は自動的に近くのフロアに停止するものもあるようです。しかし、止まらない場合や閉じ込められる場合に備えて、全てのフロアのボタンを押し、止まったらすぐに降りる方がいいと思います。
地下街

地下街は耐震構造でもあり揺れは少なく、非常灯や防火設備も整っている場合が多いです。また約60mおきに非常出口が用意されているので、あわてずに落ち着いて避難しましょう。

また、避難所での経験やデーターをひもとくと阪神大震災とはケースが違うのですが参考までに記しておきます



本格的復旧・復興始動期(地震発生後4週間~6ヵ月)
避難所解消と応急住宅の提供避難所の長期化
ライフラインの復旧などもあって避難者は徐々に減少し、自主的な管理運営体制も、弱体化していった。
ライフライン(上水道・ガス)の復旧と避難者の減少が同様の傾向を示した。
発災2週間頃から勤めに出ていく人が出はじめ、避難所の運営・管理は徐々に手薄になった。
避難所におけるボランティアの活動は有効だった。

しかし、避難所運営がボランティアにまかせきりになった避難所では、被災者の自立が遅れる傾向があった
2ヶ月経つと大勢のボランティアが引き揚げ、避難所の管理運営体制に大きな影響が生じた。
援助する者とされる者という関係の長期固定化に対する配慮が必要とされた。

教育の再開には様々な工夫がなされたが、上下水道の復旧と学校園の再開時期とが概ね一致しており、学校の機能再開に水道の復旧が大きな判断材料となったとの指摘もある。
臨時授業・短縮授業が実施され、教室が足りず校外施設を借りたり仮設の教室を作るなどの例もみられた。
神戸市では3ヶ月程度で、避難者との共存という形であったものの、ほぼ授業は正常化。しかしこの間、避難所の運営もあって、教職員への負担は大きかった。
学校避難所は96年度の新学年開始までに順次解消していったが、敷地内に仮設住宅が設置された所もある。
避難所での生活が長期化するのに伴い、被災者の生活の場としての環境確保、長引く避難生活を送る被災者に対してリフレッシュ対策等が行われた。
避難所における被災者のプライバシー確保のための対策が講じられた。
避難生活の長期化に伴い、当初の寒さ対策に代わり、梅雨・暑さ対策が必要となった。

text GM









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