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  • Posted on
    2011.03.06
  • posted by kenshin.

The Seventh Art

裏路地に一歩足を踏み入れると、未だに昭和ムードの漂う、大阪は十三という下町の繁華街に「第七藝術劇場」はある。この劇場が入るレジャービル・サンポードシティは、日本の映画史にもその名を残し、大阪・長瀬に撮影所を持っていた(僅か2年で消失)映画制作会社「帝国キネマ演芸株式会社」が前身。帝キネが制作したプロレタリア映画の幻の名作『何が彼女をさうさせたか(鈴木重吉 監督作品 / 昭和5年)』は、当時センセーションを巻き起こした。
「ななげい」の愛称で親しまれながら、幾度となく休館、再開を繰り返したが、2005年、映画ファンと地元商店街による市民出資型の映画館として再出発、現在に至っている。最近では、アカデミー賞をはじめ20を超える世界中のドキュメンタリー映画賞を受賞しながら、社会的にも文化的にも私たち日本人へ大きな問題を投げかけた『THE COVE』の上映を敢行したことでも記憶に新しい。 ドキュメンタリーや社会派、アート系など、まさに第七藝術の名に相応しく、梅田やナンバのメジャー館ではなかなか観ることのできない、選りすぐりの作品が評判の劇場である。








<エクアドルの熱帯雨林で起こった「アマゾン・チェルノブイリ」とも呼ばれる石油メジャー・シェブロンによる世界最大級の環境汚染と、それに対する訴訟を追ったドキュメンタリー。>










<アメリカの病院や医療保険のビジネス化による歪んだ医療の現状を追う。いかにアメリカの医師が金儲けのために不必要な帝王切開や促進剤を使っているかなど、隠された事実に迫り問題を提起する。>








<グローバルフードの発達の陰にある問題に鋭くメスを入れながら、アメリカン・ジャンク・フードさながらのヴィヴィッドな映像で、オーガニック・フードの本当の価値を訴えていく。>








<大量生産により見えなくなった流通と、その先にある飢餓という現実。徹底した利益追求とコスト削減が生んだ流通のグローバル化が、世界の需要と供給のバランスを大きく崩し、富める国と貧しい人々の格差は刻一刻と広がっていく。>









<キリスト教福音宣教会のフィッシャー女史が主催する、子供のサマーキャンプを追う。全米・全世界の福音宣教会信者の家庭から子供たちが参加するキャンプでは、子供たちに原罪を懺悔させ、中絶反対を解き、キリスト教を推進するブッシュを奉っていた。>




<地球上で最も隔絶された国である北朝鮮の秘密のベールを取り払う作品。北朝鮮の刑務所を生き抜いた人々のインタビューやプロパガンダ映画の記録映像の他、北の日常を淡々と描いたオリジナル映像満載。>





その最初期、遊園地のアトラクションまたは見世物小屋の呼び物扱いだった映画は、当時大衆娯楽でしかなく、芸術などとは程遠いものであった。1908年から映画についての執筆活動を始めたRicciotto Canudo(リチョット・カニュード)は、映画を既存の芸術ジャンルと対比しながら、その特性の定義を試みた。彼の言うところによれば「映画の最大の特徴である動く映像や光学的な効果は、時間芸術(音楽、詩、舞踊)と空間芸術(建築、彫刻、絵)を総合するものである」のだとか...。よってカニュードは、7番目の芸術、第7芸術という名前を映画に与え、既成芸術との差異化を図ることが映画の発達する方向であるとし、その後も彼は、映画の芸術としての認知とその価値を高めようと社会に働きかけ続けた。それは、当時から制度化され確立されていた他の芸術ジャンルと同じ扱いを受ける為に他ならなかったのだが...。
Ricciotto Canudoが提唱した「第七藝術」という思想を受継ぎ、その名を冠した劇場として社会派一本の志を貫いてきた第七芸術劇場の存在理由は、今後増々明らかになって行くことだろう。幾度となく休館・閉館を繰り返しながら、市民から決して休むことを許されず、最終的にはその市民に支えられて運営されることになったこの劇場の存在こそが、21世紀にあるべき映画館のかたちを示唆している様に思えてならない。「シネコン」で上映されるメジャー作品も良いが、たまには第7番目の芸術にも触れてみては如何だろうか?



[reference]

第七藝術劇場



text by wk

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