現代において、ポスター=広告 という図式はごく一般的な認識であるのは周知の通り。
只、世界各国で時代時代に文化を象徴するほどポスターの歴史は深く、芸術と社会の先端に位置し、人の視線をとらえてきた象徴的なものだった。
その歴史をさかのぼると、近代写真の父とも呼ばれるアジェは、19世紀末からパリを記録した、モノクロームに切り取られた市民の暮らしで、石作りの町並みのアクセントが、通りの壁に張り巡らされたポスターだった。
まさにその頃、現代に繋がるモダンポスターが生まれる瞬間を迎えていた。
消費が増え商品情報を伝える媒体が求めれた時代であり、大衆の視線を集める事が利益を生み、権力を作り出す事に気つ"いた人々によって、芸術の新しいジャンルが切り開かれた。
舞台は世紀末のフランス。Jules Cheret が、リトグラフ(石版印刷)による多色印刷の技術を身につけ帰国。街の一角で小さな印刷屋をはじめました。そして、1867年に「La Biche au Bois」というコメディの宣伝図案を描きました。
まさに、これが世界最初のポスターとして誕生だった。
こうした流れに乗り、シェレは美しい女性の絵を真ん中に据え簡潔明快にメッセージを伝えるポスターの基本を作り上げた。
以来彼の工房には注文が殺到し、パリの街路は彼のギャラリーになる始末。その事により、1881年には急遽、設置場所やサイズを規制するポスター法が作られるほどになった。
その後、シェレが切り開いた道に、新しい試みに鋭く反応した芸術家 ロートレック、ピエール ボナール ら本格的な画家らが入ってきて、そのポスター表現の土壌をさらに肥えさせていった。
その傍ら、日本趣味に傾倒していたと言われる当時の画家の中でも、ボナールはそれが強く、強い線の「フランス シャンパン」には浮世絵の影響も強く見られ、ロートレックもポスターの携わるきっかけになったのは浮世絵からだとも言われている。
このように、ポスター芸術の起点に、日本の文化が色濃く影響し繋がりを持たせているのには驚かされる。
一方、ポスターは世紀末に花開いた芸術運動アールヌーボーも取り組んでいて、代表的作家であるミュシャは、女優サラ ベナール
を華麗に描いた公園ポスター等、傑作を数多く残した。
20世紀に入り、アールヌーボーの流麗な線をよりモダンな表現と昇華させた作品が、ベルギー、オーストリア等で生まれる。
また、オーストリアの コロマン モーザーが所属していた芸術家グループ、ウイーン分離派の展示会用のポスターは、縁と直線の幾何学構成を打ち出し、モダンな感覚をもたらした。
そして、第一次世界大戦後の本格的な機械文明とともに台頭した幾何学デザインを経て、カッサンドルらが、アールデコの表現で現代ポスターの金字塔を打ち立てた。
その後、または並列して、世界中にポスター文化が普及し、今なお異彩を放つ、多くの現代芸術家が影響を受けているとされるポーランドポスター等に繋がっていく事となる。
ポスターは、告知内容の正しい把握と、正確に、造形的に伝達する能力が要求される、独特な造形芸術のひとつの様式。
また、ポスター言語は、それ自体で独立した言語であり、時に、叫びやジョーク、説得、あるいはインスピレーションという形をとります。美術現象であると同時に、意味論的の分析が容易な、イメージを組み合わせてつくる言語としては、もっとも純粋な形式のひとつであり、タイトルと絵によって観る人に働きかける。
そのメッセージは、ある時はひそひそとささやかれ、ある時は大声で叫ばれ、観る者が受け取る情報は正確な時もあれば、切りつめられたり、あるいは比喩的な場合もある。また、ポスターは陽気であったり、真面目だったり、あるいはグロテスクなこともある。
そしてまた人間の感覚や野心、責任感、助けあいの心に訴えかけたりもします。
イタリアの哲学者、ウンベルト・エーコは、「作品の解釈の可能性が大きければ大きいほど、作品が多種多様な反応を引き起こすほど、そして受け手が自分のアイデンティティーを失わずにより多くの様相を示すほど、作品の美学的な価値は大きくなる」と語っている。
まさにこの事こそ、ポスターが芸術であり、文化の象徴であると言えるだろう。
新たな時代への憧れや希望、そして情熱や欲望を喚起し反映する、古き良き時代のイメージ。
デジタルファイリングされたものが多い中、芸術性と風刺やその時代における叫びみたいなものを、ポスターから感じ取れるのは
今の時代には忘れかけていた感覚であり、今だからこそ必要な事であると強く感じる。
reference
wikipedia
text by HM