「車椅子の物理学者」と呼ばれるホーキングは、筋萎縮側索硬化症(LAS)という難病を患いながらも、「宇宙の創生理論」や「ブラックホールの蒸発理論」などの研究で世界をリードしてきた科学者である。通常、3年程度で肺炎を発病して亡くなる場合が多い難病だが、彼の場合、発病から半世紀近くこの難病と闘いながら、今も研究を続けている。
著書「ホーキング、宇宙と人間を語る」は、2010年9月に欧米で発売され、直ちにベストセラーとなった。彼はこの本の中で「宇宙の創生に神は必要とされない」と明解に断定。これに対して欧米ではキリスト教関係者から強い反発を受けた。
そもそも、現代の科学的宇宙のモデルは「宇宙は火の玉で始まった」とする〝ビッグバン理論〟が有名である。これはアインシュタインの一般相対性理論に基づく理論で、観測とも良く一致する。しかし、1980年以前の「旧ビッグバン理論」では、実はその始まりの瞬間については、物理学の破綻する「特異点」から始まることになっている。これでは宇宙の始まりそのものについて、科学は何も語ることができないのだ。
キリスト教の立場に立てば、これこそ宇宙の創生についての神の役割を示しているのだ、とも解釈できる。
例えば、ローマ法王ピオ12世が1951年、法王庁科学アカデミーで「今日の科学は宇宙が聖書に書かれているように『光ありき』で始まったことを実証しつつある」と演説したのも頷ける。
一方、科学者は、何とか〝宇宙が特異点で始まってしまう〟という理論の欠点を取り除こうと、一生懸命研究していたのであるが、当時若手のホープだったホーキングは、多くの科学者の努力を否定して、一般相対論に従う限り「宇宙は数学的特異点から始まることは不可避である」という「特異点定理」を証明。これは、皮肉にも科学は宇宙の創生については何も言えず〝神の一撃〟があったかのような結論となってしまった...。
しかし、10余年後、彼は物理学の2本柱、量子論と相対論に基づいて、自らの「特異点定理」を否定。さらにそれを超えた「特異点なしの宇宙創生理論」、更に彼自身が「無境界仮説による創生論」と呼ぶ理論を創りあげたのである。
「なぜこの宇宙は存在しているのか?」
「どうして無ではないのか?」
「なぜ私たちは存在しているのか?」
「なぜ自然世界の法則は今あるようになっているのか?」
「なぜ、ほかの法則では無いのか?」
これらの問いかけは昔から繰り返されてきたものだが、ホーキングは科学における最近の発見と理論の進歩から描き出された、これまでの伝統的なものとは大きく異なった世界像を示している。
従来のビッグバン宇宙モデルでは「宇宙ははっきりと決まった初期条件で生まれ、その後は物理学の法則に従って時間的に発展・進化し、私たち人間の存在も含む今日の豊かな宇宙の構造が作られていった」という単一の確定した歴史をもつものであった。しかしホーキングは、宇宙を量子論に基づき深く考察するならば、物理法則も空間の次元も異なる宇宙は無数にあり、私たちの住む宇宙はその1つにすぎないこと、更に我々の住む宇宙であっても現在に至る歴史は確定的な1つではなく無数に存在しているのだと説いている。
「ニュートンのあと、特にアインシュタインのあと、物理学の目的は、ケプラーが心に描いたような単純な数学的原理を発見し、それを用いて、私たちが自然界で観測しているすべての物質や力の詳細を説明できる、統一された『万物の理論』を生み出すことにありました。19世紀から20世紀初頭にかけて、マックスウェルとアインシュタインは、電気と磁場と光の理論を統一させました。1970年代、原子核における強い相互作用と弱い相互作用および電磁力のそれぞれの理論からなる素粒子の標準模型が作られました。ひも理論やM理論は、残された力である重力を取り込む試みとして提唱されました。
そして、物理学の目的には、これらの力を説明する個々の理論を探究するだけでなく、それぞれの力の強さや素粒子の質量、電荷といった基本的な定数を説明できる理論を追い求めることも加わりました。アインシュタインの望みは、『合理的かつ完璧に決められた定数だけの存在を許す、厳しく決定された法則が必然的に存在できるように自然界はできている』ということを言ってのけることでしたが、究極の理論は私たちの存在を許すような微調整を必要としないものでしょう。
しかし、近年の物理学の発展を踏まえて、アインシュタインの夢が私たちの宇宙と他の宇宙を同時に説明できる究極の理論の発見であると解釈するならば、M理論は究極の理論であるかもしれません。」 by Stephen William Hawking
多くの科学者たちが、己の人生を賭けて研究・実証してきた物理学の理論は、宇宙の心理を探るものであると同時に、人類や世界にとって善なる理論だったはずである。しかし、この価値観も2011年3月11日を境に全く異なったものとなってしまった。
例えば、時間に質量が有ることを証明しようという究極の理論である「M理論」が解明されれば、人類が原子力や中性子・素粒子をコントロール可能になるだろうか?いかに、宇宙の創生に神は必要とされなくても、人間が神になれるわけでは無い。今の世界は、アインシュタインが思い描いた未来だったのだろうか?今となっては知る由も無い...。
[reference]
「ホーキング、宇宙と人間を語る」/スティーブン・ホーキング著
「宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった」/佐藤 勝彦著
text by wk