ブラジルはアマゾン河に浮かぶ島の上に、パリンチンスという小さな町があります。
年に一度、この町ではボイ・ブンバと呼ばれるお祭りが開催されます。
ボイ(Boi)はポルトガル語で雄牛、ブンバ(Bumbá)は太鼓の音や大騒ぎの意味をします。
6月最終週の3日間、"アマゾンの奇祭" 、 "世界最大のオペラ" とも呼ばれるこの祭りを目当てに、
ブラジルはもとより世界中の人々がこの町に集まってきます。
白い雄牛をシンボルにし、赤をチームカラーとする赤組 "ガランチード"
黒い雄牛をシンボルにし、青をチームカラーとする青組 "カプリショーゾ"
この二つのチームが3夜、それぞれ約2時間半におよぶパフォーマンスを交互に行い、その優劣を競います。
祭りの舞台となるのは、赤と青に塗り分けられた牛型の専用スタジアム。
ここで両チームは、雄牛にまつわる民話劇を中心に、インディオの伝統やアマゾンの大自然などをテーマにして、
山車や歌曲、ダンスからなるパフォーマンスを繰り広げます。
祭りの運営は勿論、楽曲、衣装、振り付け、山車、演出、それら祭りの全てが地元住民であるパリンチンスの人々の手によって毎年半年以上をかけて作りあげられます。
時には高さ40m以上にもなる巨大な山車、400人からなるドラミングオーケストラ、高らかに唄い上げられる歌にのって踊る総勢3000人にもなるダンサーたち、度肝を抜く演出。
そして、両チームのサポーターによる凄まじい応援合戦、これらが渾然となったステージは正に圧巻です。
ボイ・ブンバは、"牛遊び (Brincadeira do Boi)" にそのルーツを持ちます。
"牛遊び" とは、雄牛の死と再生にまつわる民話を歌や踊りで演じる、ブラジル北東部に広く伝わる伝統芸能であり、パリンチンスで行われるそれはボイ・ブンバと呼ばれてきました。
パリンチンスは19世紀末のアマゾンのゴム景気の際に大きくなり、その後、入植した日系移民たちによって始められた麻の栽培により発展してきた町です。
ゴム景気の際、北東部より移民してきた人々により、パリンチンスに"牛遊び"が伝えられ、100年程前からはボイ・ブンバを行うグループが多数現れ始めました。彼らはパーティなどに呼ばれてパフォーマンスを披露していましたが、時と共に数多くあったグループは吸収や合併を繰り返し、淘汰され、最古参の2つのチームだけが残りました。
町の中心にある教会を挟んで、その西側を縄張りとし、アッパークラスに支持者の多い "青組" カプリショーゾ、
町の東側を縄張りとし、ロウアークラスに支持者の多い "赤組" ガランチード。
両チームの対抗意識は極めて強く、路上で彼らが鉢合わせすると警察が出動する程の大喧嘩になったと言われています。
60年代、町の基幹産業であった麻の生産が化学繊維の登場で落ち込み始めます。
そんな中、停滞していたパリンチンス町の活性化のために3人の青年が、祭りの開催を企画します。
当初、彼らは祭りのメインイベントとして、ボイ・ブンバのステージを考えていました。
しかし当時、赤組ガランチードと青組カプリショーゾ、両チームが同時に祭りの会場に居合わすことは考えられないことでした。それは即ち、大乱闘が始まることを意味していたからです。治安上多くの反対があり、結局ボイ・ブンバのステージは断念されました。
しかし翌年、知恵を絞った彼らは、今度は単なるステージではなく、両ボイ・ブンバチームの優劣を決定する対抗戦を企画しました。歌や踊り、衣装等を厳正に評価すると同時に、相手チームへの野次や乱闘を抑えるため、サポーター達の応援や観戦の態度も評価の対象にするというシステムを考案したのです。
彼らの試みは大成功し、古くから続く因縁の対決に町中が熱狂しました。
そして、両チームとそのサポーターたちの対抗意識は、喧嘩よりも、いかにして相手チームより優れたパフォーマンスを披露するか、に向かって行きました。
祭りを重ねるうちに路上での抗争はなくなり、老若男女、殆どの住民が赤組、青組どちらかの熱心なサポーターになっていきました。
そしてパリンチンスの町では、"赤か青か" が最も大きな関心事の一つになっていったのです。
サポーターたちは自分たちのチームを誇りにし、そのチームカラーにこだわり、彼らは自宅の壁を応援するチームの色に塗り、道路標識や電話ボックスまでもが赤と青に塗り分けられました。徐々に町は赤と青であふれていきました。
近年では、ボイ・ブンバ祭のスポンサーになったコカコーラ社に対し、青組カプリショーゾの支持者たちが "コカコーラの赤はカプリショーゾにそぐわない" として、ボイ・ブンバ祭のスタジアムやカプリショーゾの支持者の多い地区から看板の撤去を求める事件も起りました。この事件はカプリショーゾ支持者によるコカコーラ社製品の不買運動にまで発展し、最終的にはコカコーラ側が町の約半分のコカコーラの看板を青く塗り替えることで決着しました。
それでもコカコーラはカプリショーゾの人々にはほとんど売れず、結局、コカコーラ社は青い缶のコークを発売するハメになりました。世界中で青いコカコーラが存在するのは、ここパリンチンスだけだそうです。
かくして、パリンチンスは、コカコーラさえも赤と青に塗り分けられる、正に赤と青の町となっていったのです。
当初、雄牛の民話という素朴なテーマのみを演じていたボイ・ブンバでしたが、
70年代からは、アマゾンの自然や伝統、そしてインディオやカボクロへの敬意などテーマに盛り込まれていきました。
"カボクロ"とは聞き慣れない言葉ですが、身分の低い、無知な田舎者を指す軽蔑を含んだ言葉です。
元々は白人社会に取り込まれ、奴隷化されたインディオを指す言葉でもあったのですが、やがて白人とインディオの混血者をも意味するようになりました。
ボイ・ブンバの担い手であるパリンチンスの人々を含め、アマゾンの住民の多くがカボクロと呼ばれる人々です。
長年、ネガティブなイメージを与えられて来たカボクロの人々ですが、ボイ・ブンバの中ではそれに反して、カボクロはアマゾンの大自然と一体となって生きる気高く賢い者、として捉えられ、自分達がカボクロであることを誇る歌や踊りが披露されます。ボイ・ブンバで演じられるカボクロ像が現実よりも理想化されていることは否めませんが、ボイ・ブンバによって、その担い手であるパリンチンスの人々がカボクロという自らのアイデンティティにプライドを持ち、カボクロに与えられてきた否定的イメージを払拭しようとしてきたことは事実のようです。
80年後半、ボイ・ブンバ祭に州のバックアップがつき、コカコーラ社などの大企業がスポンサーになりました。
ボイ・ブンバ専用のスタジアムが建設され、多くの観光客が町を訪れるようになり、ボイ・ブンバ祭による観光業は町を支える主要産業となっていきました。
特に、ボイ・ブンバ祭の観戦チケットの売り上げは、両チームの運営の大きな収入源となりました。
にも拘らず、祭りが行われる3万5千人収容のスタジアムにおいて、観光客に売りに出される席は約5千人分だけに抑えられてきました。残りの席は全て赤、青それぞれのチームを応援する地元住民のために無料で開放されているのです。
この無料の席におけるサポーターたちの応援合戦の出来は、チームの得点対象となり、勝敗に大きく影響します。
そのため、この席に坐った者は、例えそれが勝手の知らない観光客であろうとも、自分のチームのパフォーマンスが行われている2時間半の間、ノンストップで激しい応援のダンスを行うことがマナーとして強要されます。
また、応援の場に相応しくない者(赤組の応援席で青い服を着ている者、真面目に応援をしない者など)は非難され、
場合によっては応援席から叩き出されることもあるそうです。
当初、乱闘を抑えるために考案されたシステムがマナーとして受け継がれているのです。
サポーター達は炎天下の中、何時間も並んで応援席を確保し、さらに数時間の応援のリハーサルの後、本番に臨みます。
祭りが始まると、応援席ではステージと一体となった壮絶な応援合戦が繰り広げられます。
紛れも無く、応援席のサポーター達もチームの勝敗を握る重要なボイ・ブンバの参加者なのです。
もしかしたら、スタジアムの中でおよそ観客と言えるのは、有料席に座る観光客たちだけなのかもしれません。
政治や経済の中心から遠く離れ、人を寄せ付けない熱帯雨林が支配するアマゾンでは産業発展が難しく、経済的に不安定な町も多いそうです。基幹産業であった麻の栽培が衰退したパリンチンスもそういった町の一つだったといいます。
アマゾンに産業を根付かせることは、ブラジル政府の長年の課題であり、地元住民たちの願望でもありました。
しかし、ブラジル政府によるアマゾン地域の産業開発は環境破壊をはじめ、実に多くの問題を引き起こしてきました。
政府はこれまで、資本家や大企業の潤沢な資金を取り込み、大規模な牧畜業や農業、地下資源開発などを行ってきましたが、無秩序な熱帯雨林の伐採、インディオへの圧迫、得られた富が地元住民へ還元されない等大きな問題が起ってきたのです。
そんな中、ボイ・ブンバによる観光振興は、環境負荷が少なくクリーンなイメージを持つ産業開発として州や政府の支援を受け、大きく成長してきました。
しかし、祭りの規模が大きくなるにつれ、行政やスポンサーの影響力もまた、大きくなっていきました。
それを受け、ボイ・ブンバ自体がその担い手であるパリンチンスの人々の手を離れ、観光客やスポンサーのものになっていくのではないか、という心配の声も多くあがっています。不安の背景には、年々商業的、観光的になっていき、古くからのファンが離れてきているリオのカーニバルの例もあるのかもしれません。
自分たちの祭りを守っていくことと、祭りの観光化によって経済的な安定を得ることは両立できるのか?
それは伝統文化に用いて観光振興を行う以上、常につきまとう大きな問題でしょう。
しかし、コカコーラの色までも青に変えさせたサポーター、利益を追わずに無料の応援席を確保し続けてきた両チーム、
祭りによって自分達のアイデンティティのイメージを回復させてきたパリンチンスの人々。
携帯電話に入れたチームの応援歌を聴かせてくれる青年や、自分たちのチームがいかに相手チームより勝ってきたか、その歴史を熱弁するお年寄り。実際に現地に行ってみると、パリンチンスの人々が自分たちのチームを心から愛し、そのことにプライドを持っていることを強く実感します。
どんなに行政やスポンサーの影響力が強くなろうとも、そう簡単にボイ・ブンバがパリンチンスの人々の手から離れることはないだろう、そう思わせる力強さを、パリンチンスの人々からは感じました。
今年は50年ぶりとも言われるアマゾン河の大増水によって、赤組ガランチードの練習場と山車倉庫が浸水してしまうというハプニングがおこりました。
本拠地を失い、当初は山車の製作自体が難しいと思われたガランチードでしたが、いざ祭りが始まってみると、例年を上回る見事な山車を完成させてきました。ボイブンバ史上最大の高さ50m超(16階建てのビル相当!)の山車まで登場し、見事、僅差で青組カプリショーゾを下し今年度の勝利を掴みました。
地元紙は、「ガランチードの予想外の山車の素晴らしさにカプリショーゾ側が動揺し、応援席のパフォーマンスが乱れたことがガランチードの勝利に繋がった」と報じています。
これで40年以上続く因縁の対決は、ガランチード27勝、カプリショーゾ16勝、1引き分けとなりました。
結果発表の翌日、地元のカプリショーゾファンの少女に来年の予想を訊ねると、
「もちろん私たち(カプリショーゾ)が勝つにきまってるでしょ!」という元気な返事が返ってきました。
果たして来年のボイ・ブンバの行方は?
reference Wikipedia , Paritins.com
TEXT BY K.A