3.11から早2ヶ月にさしかかろうとしている。
日を追う事に日本のマスメデイアから流れる情報も変わり、震災直後以上に情報が稀薄で、まるで世論から終端していくかのように感じるのはなぜだろうか?
もちろん、被災地以外の人々の感覚は住む場所により大きく違うのだろうが、それを、繋ぐ役割なのがマスメデイアであり、原発の事も含め、あまりにも何一つ明確でない情報ばかり浮遊しているように多くの人が感じているのではないだろうか?
そして、未だ被災地では、懸命な復興作業が行われている事実は2ヶ月になろうとも変わらぬ真実である。
変動する被災地の状況の中被災された人々が、震災後とは全く違う問題と直面している事を忘れてはならない。
では、本当に今現在何が必要なのか?数少ない、真意を問う情報を示し、少しでも行動を早める事が急務ではないだろうか?
各分野から明確な見解や、情報開示が求められる中で、今こそまさに、民間ボランテイアの存在やリアルタイムな早急な情報が必須な時であると強く感じる。
只それと同時に、ボランテイアの真意も問われているのではないだろうか?
ボランテイア自体には純粋な気持ち?から行動につながるのが真意と思うのだが、THE WALL STREET JOURNAL JAPANに掲載されていた記事にはこのように書かれている。
被災地では、ゴールデンウィーク中のボランティアの申し込みをさばくことに追われている町もある。ホテルや民宿などの宿泊施設が不足している上(多くの施設が津波によって破壊されてしまった)、災害対策センターではオフィス・スペースが手狭なことから、大量のボランティアを受け入れることができないと、ボランティア活動の運営者は語る。
大きな被害の出た宮城県気仙沼市の災害ボランティアセンターでは、ゴールデンウィーク中に600人ほどのボランティアが現地入りすると予想している。これは通常の約3倍。同センターは、ゴールデンウィークが終わるまで追加の申し込みを受け付けないことも検討している。一方、同じく宮城県にある石巻市は、来週バスに乗ってやって来る大勢のボランティアに対する受け入れ態勢を整えている最中だ。
石巻市災害ボランティアセンターは23日、宮城県災害ボランティアセンターが発表したメッセージの中で、ゴールデンウィーク中のボランティア活動の申し込みや問い合わせが多くの団体や個人から多数寄せられていることを明らかにし、またボランティアに対しては、交通混雑や駐車スペースの問題があるため、現地入りする際には同センターまで事前に問い合わせるよう呼びかけた。
東京都が東京ボランティア・市民活動センターと協力して企画した被災地ボランティアツアーでは、3カ所でボランティア活動が行われる予定であり、気仙沼市と石巻市はそのうちの2カ所だ。ツアー参加者は4月29日から6泊7日で、がれき撤去や建物の清掃などの作業を行う。参加費は2万5000円で、朝食と夕食が含まれている。今回の参加者数は200人と、4月5日発の初回ツアーの3倍に増えた。また、全参加者のうち60人分の宿泊代については、各市がその半額を負担することになっている。
活動センターによると、200人の定員枠は4月20日の予約開始から1時間で埋まってしまったという。同センターは、以前に災害救援活動に参加した人かボランティア経験のある人を優先している。一方、東京を拠点とする国際交流NGOピースボートも同じようなツアーを企画しており、4月29日出発のツアーは既に満員。
しかし、福島県災害ボランティアセンターに勤務する関靖男さんは、低迷する東北地方の経済の回復を助けるためにも旅行をしてほしいと訴えた。関さんは今週、ボランティアについて電話による問い合わせを一日に約200件受けたと話す。先週の数から急増したという。
復旧作業だけがボランティア活動ではないという関さんは、東北地方を訪れるのは春が一番と言い、「福島のバスに乗って、福島産の酒を飲んで、福島観光を楽しんでください」と震災を免れた観光地への旅行を勧めた。
BY THE WALL STREET JOUNAL JAPAN
この様な民間の動きが出ているが、すばらしい行動なのになぜか無性に違和感を感じてしまう。
それは、官と民の相互の情報バランスが、あまりにもアンバランスではないのだろうか?
そもそもボランテイアの真意とは何なのであろうか?
世界中に普及はしているものの、日本のボランテイアは独自な意味合いを持ち特殊性がある。
そこには、歴史的に文化や宗教の違いは大きく関係はしている。
しかしそれ以上に、日本人の多くがボランテイアの真意を認識している事があまりにも少なく、他国との歴然とした差は否めない。
日本では古くより五人組・町内会・自治会・消防団など地縁・血縁によって強固に結びついた相互扶助の慣習があったため、外部からのボランティアを広く呼びかけ受け入れる仕組みや必要性は少なかった。また地域では民生委員など無給で社会奉仕活動を行う制度が以前から構築されてきた。
しかし財政の悪化から行政コストの一層の低減が叫ばれ、一方では都市化・核家族化による人口の隔たり・流動化が起きているため、有事の対応が迅速かつ的確に行える仕組みを維持することが困難になってきた。
ボランティア活動の原則として挙げられる要素は一般に自発性、無償性、利他性、先駆性の4つである。
1980年代以降、無償性の原則に関して「無償」の範囲をより柔軟に考えることによって実費の弁済や一定の謝礼を受ける「有償」ボランティアが出現し、受け入れられてきているのが現状である。
先駆性や補完性といった概念は、ボランティア活動が既存の社会システム、行政システムに存在しない機能を創造的な自由な発想で補完するという役割を担うことから発生したものである。
一方、ボランティア活動がそれに参加する個人の自己実現の場として機能する自己実現性を持ち合わせているのも真実である。
今、ボランテイアに求められるのは自己責任、自己管理、原理原則の大切さを理解した上で、自己の出来る事を判断しなければならないのではないだろうか?
只、被災地で人助けをしたいという気持ちそのものは非常に尊いものであり。
無償で貢献してくれるボランティアの存在なくして災害復旧が成り立たないのも事実。
その事を胸に、一人一人が認識していく事も大切である。
そして、まだまだこれからが民間、プロ、アマ問わず、本当のボランテイア支援が必要であり、
その中でも特に、精神的ケアーの重要性が必須となってきている。
ある、医療関係のボランテイア機関が強く提唱している。なぜならば、今回の震災では、こんなにも近親者を亡くした人のいる災害は、過去にはなく異常事態であり。また、物的損失も甚大。避難所では、「全財産は今、身に着けているこの服だけ」という被災者が少なくない。自宅があった場所すら分からず、大切なものを掘り起こすこともできない。すべてを失ってしまったという人がとても多いのが、今回の震災の特徴なのでPTSDを発症する人数は、過去の比ではないと、、、
さらには、子どものケアも大切であり。震災孤児も相当いて、学校が再開されれば、友達がいなくなったことが現実としてはっきりと現れる。(学校再開後の)4月下旬以降、大きな課題になってくると予想が出来ると言われている。
ストレス障害は、自分では気付かないケースが大半で、少し後から症状が現れることも少なくなく。フラッシュバックや不眠、いらいらなどに悩む人は今後、増えてくる。
そこで、支援者が注意すべきは、「精神科の患者を増やすために行くのではない」ということ。
阪神大震災では、ケアに入ったチームが薬をどんどん処方したために、「薬がないと不安だ」という精神科の患者が大幅に増加した。支援には、いつか終わりがある。その時、患者がいっぱいになってしまっていては、地元の医療者が困り、薬の投与は最少の期間、最低限の量。重症者は、地域の医療機関につなげるということが重要です。
また、被災者を支援する地元の医療者自身が被災者でもある事も忘れてはいけない。
医療者をはじめ、市職員や消防団員など、今はまだ使命感に燃えて頑張れていますが、支援者に対するケアは重要な課題です。阪神大震災では、この視点が抜けていたとの課題が報告されています。支援する立場の人は、たとえケアが必要でも、「住民より先に受けるわけにいかない」という思いがあるので、組織として上から「積極的にケアを受けるように」と指示することが必要であり。
民間の力がより発揮するには、やはり国や県がもっと、明確に音頭を取って行わなければいけない。
今の現状、またその先にある未来に大きく関わる事である事を日本にいる人々、一人一人が再認識し、この事実と向き合い進む時ではないのだろうか?
これからが本当の支援のスタートであるという事を、、、、
text by HM
Reference
Wikipedia
THE WALL STREET JOUNAL