「ぺドロ・コスタの映画はよく見ているよ。彼は特別な才能を持つ監督だ」(マノエル・デ・オリヴェイラ)
「コスタは本当に偉大だと思う。彼の映画は美しく強力だ。」(ジャック・リヴェット)
「彼の年齢でフリッツ・ラングや溝口のような画面を撮れる人は他にいない。彼の映画は室内の映画だが、光 のきらめきによって戸外を発見する時、すぐに小津の映画のことを思い浮かべるんだ。」(ジャン=マリー・ストローブ)・・・
現在活躍する世界最高の映画の巨匠であるだけでなく並外れた批評眼の持ち主である人々に多大なる影響と絶賛の声を聞くほどインデイペンデント映画界でも歴史と異彩を放つサンダンス映画祭や,その他各国の映像業界に一石を投じる逸材とも言われている,ポルトガル出身の映像作家のペドロ コスタ まさに21世紀に担う映像作家である。
彼が2003年の冬、現代の映画作家を代表する一人と言われるペドロ・コスタが、小津安二郎生誕100年記念国際シンポジウムのためにポルトガルから東京を訪れ、仙台で行われているせんだいメディアテークにメインゲストとして取り上げられたのは記憶に新しい。
溝口健二や小津安二郎など映画史上の巨匠を思い起こさせると同時に、独自の感性を持った映画でもある彼の作品は、その誕生から1世紀をわずかに越えた映画というメディアの、次の可能性を見せてくれるものである。
それは、メディアテークのコンセプトのひとつ「最先端の精神を提供すること」それは単に新しいテクノロジーを追うことではなく、状況に応じた新鮮な知と驚きを伝えることを意味しているに通じる。
特にヴィデオ・インスタレーションによる『ヴァンダの部屋』は、今日数多く見かけるビデオプロジェクターを使った美術作品に対する、映画作家からのひとつの応答ともなるのではないかと思われる。
このメディアテークとは2001年に開館した図書館、ギャラリー、映像メディアセンターやワークショップスペースをふくむ複合文化施設である。「チューブ」と呼ばれる不規則に配置され、ねじれながらフロアを貫く鉄骨の構造体に支えられたこのユニークな鉄とガラスの建築は、設計者の伊東豊雄が「アンダー・コンストラクション」と呼んだように、建築が完成した後も、利用者のふるまいや時代の変化に対応して変わり続ける場となることを目指したものである。従来の方法やジャンルにとらわれない事業運営が目指される一方、その新しさとは相反するかのように、この空間は普段使いの場所でもあり、毎日3000人以上の人々が訪れている。本を読み、映画や美術を鑑賞し、自分たちでグループ展や自主上映を企画し、時には待ち合わせの場所にも使われるなど、それぞれの活動を仕切る壁が少なく、すべてがゆるやかにつながるこの空間のなかで、人々は思い思いの時間を過ごしていく。
http://www.smt.city.sendai.jp/smt/
そんな彼が,映像作家として,世論及び映画の世界に何を発信させ,何を意味するのか?
そこには,とてつもなく人間愛を感じさせるプロセスが存在する..
ポルトガルの首都リスボン北西郊外のフォンタイーニャス地区。
古くからカーボ・ヴェルデ諸島出身のアフリカ系移民が多く住むゲットーとも言える移民街。
「大航海時代」。香辛料、金、ダイヤなどを求めアジア、アフリカ、ラテンアメリカなど世界各地に貿易活動を行っていたポルトガルの15世紀から19世紀まで続いた奴隷貿易の歴史、アフリカにおけるポルトガルの支配の歴史と大きく重なる地域でもある。
ポルトガルの首都リスボンにあるスラム街フォンタイーニャス地区。そこで劇映画『骨』を撮り終えたペドロ・コスタ監督は、出演者のひとりヴァンダ・ドゥアルテに、さらに映画を撮り続けることを勧められる。コスタ監督は少人数のスタッフをフォンタイーニャス地区に送り込み、デジタルビデオを使ってヴァンダと家族、友人たちの日常を記録し始める。取材期間は2年間。これを3時間に編集したのが、この『ヴァンダの部屋』だ。
すべての出来事はフォンタイーニャス地区で起きている。再開発が進むこの町では、毎日のようにトラックやシャベルカーやブルドーザーが激しいエンジン音と地響きをたて、ドリルとハンマーが無人となった家やアパートをぶち壊していく。ここではひとつの世界が終わりかけているのだ。
町が徐々に更地になっていく中で最後まで居座っているのは、貧しいスラム街の中でもさらに貧しい最底辺の人々。
彼らの多くは麻薬常習者であり、アルミ箔のパイプや注射器を手放せないでいる者たちばかりだ。この映画の主人公となるヴァンダとその妹はアルミ箔パイプの愛用者。近所に住む幼なじみのパンゴは、注射器を肌身離さず持ち歩く似たようなジャンキーだ。
これはドキュメンタリーなのか? それともフィクションなのか? おそらくこの映画は事前に台本やプランを練り上げず、その場その場で即興的に撮影しているに違いない。
そこにはありのままの日常もあれば、即興で演じた芝居もあるだろう。だが映画はそれを区別しないで、すべてをつなぎ合わせて1本の映画にしてしまう。物語らしい物語はない。ドラマらしいドラマもない。登場人物たちはいつも不健康そうで、主人公のヴァンダもいやらしい湿った咳を繰り返す。着ている服もいつもたいてい同じ。室内撮影という制限があるせいだろうと思うが、どんな場面でもカメラアングルはほぼ同じ。季節も時間もなく、ただ人間だけが動いている。時間経過を示すのは、騒音の向こうで確実に壊されていく町だけだ。昨日まで人が暮らしていた空間が、次にはもう瓦礫の山になっている。こうして人の暮らしていた世界が、少しずつ「何もない空間」に置き換えられていく。
この映画には何の社会的なメッセージもない。社会の麻薬問題を告発しているわけではないし、都市再開発に取り残される貧しい人々の窮状を訴えようとしているわけでもない。社会から取り残されたところでしっかり生き続ける人々の生命力には感心するが、それが「庶民の生活感あふれるバイタリティ」といった言葉で飾られるわけでもない。
ヴァンダも仲間たちも、昨日していたのと同じ怠惰な生活を、今日も明日も続けるまでだ。向上心もない。スラムを脱出しようという意志もない。道ばたの雑草のように、彼らはただそこで生きている。只,そこには空虚感の中にある強い生命をしっかりと残している..
その6年後に再びペドロ・コスタが撮った「コロッサル・ユース」に映し出されるフォンタイーニャス地区は、再開発で近代的な集合住宅や美術館が立ち並ぶへ街へと変貌していた。
移民労働者たちは新しい集合住宅に強制的に移住させられている。この地区に34年間暮らす初老の移民労働者ヴェントゥーラが集合住宅地区と彼が住む荒廃した貧民窟の間を歩く。
映画コロッサル.ユースは一度完結しているが,今尚,コスタ自身はこの街と住人を撮り続けている、そこには、被写体となる事物や空間や人々への敬意と途方もない優しさにみちている。その先にある未来を見据えて...
ペドロ コスタが映像作家として,断固たるフィロソフィーと,アクションの源は,
映画史に守られていた過去に敬意を表する事と再生を意味して,裸型の映画を目指し
既存の映画界を拒否するアクションはまさに,インデイペンデントな姿勢を貫く事であり,
芸術とはイメージの質的な価値にけして固執しない事。
映画というものが誕生して100年ほどの歴史の中で、映画は人に夢と感動を与え続け、観客は受容する映画というものに慣れ続けてきた。
ジャン・リュック・ゴダールは「映画史」の中で、映画は受容するだけの幼い芸術だと語っている。
映画は成長していく中で、観る者は、映画を観る権利とともに、その義務を負わされるといえるのだろうか。
ゴダールが「パッション」で語った「受難=情熱」という二重の意味が頭に浮かぶ。
リュミエール兄弟による動く写真が生まれ、映画の誕生はドキュメンタリーから始まり、人々は映画の中に現実の人生以上の真実を求め、夢を求め、その虚構の世界を広げていき、ペドロ・コスタ監督が私たちの前に差し出したものは、ドキュメンタリーとフィクションを越えた領域にある映画なのか、それとも今私たちが獲得した映画の対極に位置するものかは、今、映画という歴史に大きな変貌あるいは転換が起こりつつあるのか、あるいはゴダールが言う<映画は幼年期の芸術>というその段階からの脱皮が迫られている過渡期であるかもしれない。
pedro costa
1959年、ポルトガルのリスボン生まれ。リスボン大学で歴史と文学を専攻。青年時代にはロックに傾倒し、パックロックのバンドに参加する。その後、国立映画学校に学び、アントニオ・レイスらに師事する。ジョアン・ボテリョ、ジョルジェ・シルヴァ・メロらの作品に助監督として参加。'84年、短編『ジュリアへの手紙』を監督。'89年、長篇劇映画第1作『血』を発表。以後、映画プロデューサー、パウロ・ブランコのもとで『溶岩の家』('94)、『骨』('97)、『ヴァンダの部屋』('00)、『コロッサル・ユース』('06)を監督。現代映画を代表する映画監督として、アート界を含め世界的に注目されている。
reference
イメージエフinterview
asahi.com
http://www.cinematrix.jp
TEXT BY HM