これらの都市模型は、Bodys Isek Kingelez(ボディス・イセク・キンゲレス)によって制作されたものだ。
1948年、Jean Baptiste(ジャン・バティスト)という名前でコンゴ民主共和国(当時はベルギー領)に産まれた。
1970年に移動中等学校を卒業した後、ザイールで国立博物館の収蔵品(主にアフリカの部族のマスク)修復の仕事に携わった。それと同時に、彼は自身の最初の芸術作品を作成し始める。1989年、パリで開かれた「現代アフリカ美術コレクション」に招待されたことで、彼のアーティストとしてのキャリアが開花。キュレーターなどビジネスパートナーにも恵まれ、それ以降アメリカ、ヨーロッパをはじめ、中南米やアフリカ各地のギャラリーに招待され、多くの展覧会で取り上げられた。
Kingelezの手による幻想的で空想的な都市模型のほとんどが、段ボール、紙、プラスチックで作られている。 都市全体のモデルは、アフリカの未来のビジョンやキンシャサ(コンゴの首都)や他のアフリカの大都市の、広大で無秩序な様を反映している。ボトルキャップ、段ボールやアルミ箔などの材料は、都市そのもののリサイクル化という意味でもあり、また彼の芸術がエクストリームモデル(極端な模型 )と呼ばれている通り、その芸術的なアプローチについても、アフリカやヨーロッパの古典的な装飾や、それとは全く対極の近未来的なイメージやデザインとのユニークで斬新な融合を志向している様でもある。
「私は黒人アーティストとして、自身の芸術を通じてあらゆる人々の良いお手本になりたいと考えています。また、繊細で地道な仕事こそが、作品の質と共に私自身の価値をも向上させてくれる、と信じています。そして私の表現は、まるでグローブの様に自分にフィットしたモードを展開しているのです。」
1992年以降、彼は多くの建物、大通り、公園、競技場やモニュメントなど、都市の全体を組み立てるようになった。
その根底には、「アフリカ大陸における自由とは、世界中の『先進国』と呼ばれている多くの国々に導かれた自由であるということ」。Kingelezや他の多くのアーティストたちはそう考えていた。同様に、都市のあり方や建築デザインまでもが、もしかすると「押しつけられた」ものなのではないのか?と...。
自ら「究極の建築」「超模型」と称する作品(理想と空想の都市)を制作してきた彼独特のプロポーションバランスに保たれた複合建築物は、誰のマネでもない、自分達の価値観や文化に従い、民俗生活がおくれる様に設計された、ある種真面目な建築デザインと言える。まさに精神的で知的な芸術として、家族や生活素材と遊び心を必要とする現代社会において、その全てを満足させる建物を目指して設計してきた結果でもあるのだ。
人間の深い想像力と可能性によって産み出されたこれらの建築コンセプトは、創造の感性が産んだ「新たな言語形式」と言っても、決して大袈裟ではない。なぜなら、アフリカの造形、美術は思いもよらないデフォルメ(変形)、フォルム(形態)、表現力、質感など、理屈ではなく観る者の心に直接、訴えかけてくる力があり、虜にしてしまう魅力があるからだ。それは、千年以上もの間に淘汰された民族の根源的な形、表現であり、精神的な創作の原点であると同時に、何よりも生きるための願いがこもった魂の造形だから。それらはAbstract(抽象的)であり、感覚としては非常に現代的な表現であった。
彼の作品を「建築」と観るか「芸術」と観るかは、個人の判断に委ねられるところであるが、これらのデザインを元にして、本物のアフリカの都市が生まれ変わる時、それは「発展途上国」とか「後進国」などという旧時代的な言語形式や、差別的な表現そのものが終わりを告げる時に他ならない。
Text by wk