Interview 渡辺貴一「カラーリストに聞け!」
今回、THE SALONのオーナーでカラーリストである 渡辺貴一氏に カラーのお話を色々伺いましたトレンドなど軽い感じのお話をと、考えてのインタビューだったのですが奥の深い話が飛び出しなかなか普段では聞けない貴重なインタビューとなりました
昨今、ヘアスタイリスト、カラーリストなど、分業によるサロンでの活動がトレンドとなっておりますその流れのずっと前からカラーリストとして活躍されていらっしゃいますが、どういう経緯でカラーリストとしてのポジションを確立されていかれたのでしょうか?
(渡辺 以下KW ) 責任の所在を明確化する為に、ヨーロッパやアメリカなどでは専門分業化が進んだと考えられます。医療分野でも同じですね。
私も、元々は美容師を目指していましたが、1つ1つの技術や知識を学んで行く中で、カラーリングに関してだけは、売れっ子で仕事のできる先輩美容師やオーナースタイリストに聞いても専門書を探しても、納得のいく答えが見つからなかったんです。
カラーリストを志した直接の理由は、「それなら、自分がその道の第一人者になってやろう!」という密かな野望からでした。
具体的には、当時務めていたサロンの本店がニューヨークにあったこともあり、すぐに渡米。NYのトップサロンで経験を積んだ後帰国。それからは、ひたすら日本でのカラーリング啓蒙に邁進しましたね。職業として確立されていた「美容師」とは違い、「カラーリスト?なにそれ??」というところからのスタートだったので、色々と大変な思いもしました。また、当時は週末になるとセミナーの為に全国を飛び回っていたので、3ヶ月間ブッ通しで休みの無いことが続いたり、そんな過労が原因で入院したりと、今から思えば若さと情熱に満ちていて理想に燃えてたなあ~と微笑ましくもありますが、その情熱と全く同じ分だけ未熟さも大きかった様に思います。
帰国した1996年当時、カラーリングブームが広がりはじめた矢先でもあり、カラーリストというスペシャリストが日本にはまだ殆どいなかったと記憶しています(私の知る限り、私の他にカラーリストはいなかったのではないでしょうか?)。初めは、当然ながら自分のサロンでも拒否反応がありました。しかし、結局は専門知識と安定した技術力によって、次第に信頼を得ていったのだと思います。最終的には担当スタイリストやクライアントもカラーリストの意見を参考にデザインを決定したり、全面的に「お任せ」されたり、気が付いたらそこそこの地位に居た、というのが正直なところです。
私個人としては、一美容師であることに変わりは無いので、仕事への取組は今も昔も少しも変わっていませんが...。
そもそもヘアカラーの魅力とはどういうものなのか、渡辺さんのお考えはいかがでしょうか?
( KW ) う~ん、難しい質問です。エンドユーザーの視点で言うと「気軽さ」じゃないでしょうか?髪を切るという行為には少し重みを感じます。何故なら、1人の女性(男性の場合もあると思いますが...)が、ある程度の長さに伸ばすまでには、色々なドラマがあったと想像できます。そして、その記憶や思い出の一部を『髪』と共有しているのではないでしょうか。その様な意味から察するに、おいそれとカットには踏みきれない場合でも、ちょっとしたオシャレや気分転換にヘアカラーというのは重宝されているのかな?と...。そういう意味で、ヘアカラーの最大の魅力は、その「気軽さ」なのだと思います。
その点、カラーリストである渡辺さんが感じるカラーリングの魅力について、もう少し主観的なご意見を聞いてもいいでしょうか?
( KW ) 少々専門的な話になってしまいますが、ご容赦下さい。ヘアカラーリング(の魅力)を語る時に、まずは、髪という素材を理解するとことからスタートしなければならないでしょう。
毛髪とは、広義に解釈すれば繊維です。それが染色可能な理由の1つですが、細微には、アミノ酸を主成分としたポリペプチド鎖やジスルフィド結合等の二次構造から成る蛋白合成物の一種です。爪なんかもそうですね。
神の創造物である我々人間の毛髪は、初めから完璧な姿をしています(髪を電子顕微鏡などで観察したことがある人ならば分かると思います)。私たちが、わざわざ粗末な知識と未熟な技術でこねくりまわさなくても、『髪』は初めから完全なのです。
ならば「何故ヘアカラーリストになどなったのか?」と怒られそうですが、私の場合は〝美意識〟という言葉に集約されている様な気がします。
最初に申しました通り、究極的に突き詰めれば、髪は一種のマテリアルです。それはそのままでも十分に美しいもの、ということも理解しています。シルク(絹)やカシミヤなどはその最たるものでしょう。
しかし、現実には洋服の素材なんかと同じ様に、髪にも色々な違いがあります。細い太い、硬い柔らかいなどなど...その様な違いを十分に活かしつつ、「個」を尊重する手段があるとすれば、それは素材の美しさを引き出しながらも、素材としての美しさを超えた「美」にはならないだろうか?と。勿論、そんなに深いことを考えてこの職業を選んだわけではありませんが、現時点での私の認識としては、そんな表現がしっくりきます。
例えば、一口に「白髪が気になるので、白髪を染める」と言っても、技術的には非常に繊細で複雑です。日本では、一般的に「白髪染め」と一括りにされる傾向にありますが、本来グレイカラーリングも『カラーリング』なのです。どういうことかと言いますと、色の種類や染め着けの濃淡でデザインするのがカラーリングだとすれば、日本の殆どの美容師さん達が考え行っている「ヘアカラー」は、カラーリングではありません。
白髪の分布や量、物理的な髪の状態、テクスチャー(髪の質感)、頭皮の状態等によって、慎重に繊細にフォーミュレーション(色や薬剤の選択、配合・調合)しつつ、仕上りのバランスを想像できていなければ、それをカラーリングとは呼ばないと思います。少なくとも私はそう考えています。そこまでのこだわりを持ってこそ、プロの美容師でありヘアカラーのスペシャリストなんだと自負できるわけです。と同時に、そこにこの仕事の面白みとやりがいみたいなものがある様な気がしているのですが...言葉にすると安っぽくなりますね。
要するに顧客満足だけを追求しても、本当の意味で完成された技術・サービスにはならないと思うんです。プロとしての自己満足を同時に満たせる様な完成度の高い仕事でなければ、完璧な仕事とは言わないんじゃないでしょうか?無論、そんな仕事ができた経験って、数年に1度あるかないかですが...。でも、そういう仕事ができた時の喜びは、何物にも代え難いものですし、ある意味〝カラーリングの魅力〟を超えた魅力とでもいいましょうか、文字通り「神(髪)の領域」に踏込んだ瞬間ですよね。
そんな非常に言葉にし難い部分にこそ、本当のヘアカラーリングの魅力はある、と考えています。
トレンドとしてのヘアカラーの流行って、どうなっているのでしょうか?もし有るのであれば、そのトレンドはどういう流れで、どれぐらいのスパンなのでしょうか?
( KW ) これは、ファッションの場合とほぼ同じである、と考えて頂いて差し支え無いと思います。
大きくは、その時代や価値観を表す「風俗」であると同時に、個人に当てはめると、その人が所属する「社会」を表しています。学生のヘアスタイルやカラーリングと、OLさんのそれとが明らかに違うのは、この理由によるところが大きいはずです。また、景気が悪い時に流行するヘアカラーは、暗い色や無彩色(グレー、白、黒など)の場合が多かったりします。無難に着こなせる黒系のオーソドックスな服がよく売れるのと同じですね。
これまでは、2~3年周期でファッションの流れに連動する形のトレンド感があった様に思うのですが、ここ1~2年は、よりパーソナル感(自分がしたい色にする)が強まったのではないでしょうか?震災や原発事故に起因した人生観や価値観の変化も大きな理由として挙げられますし、何よりも、色んな分野でプロがいなくなった(必要とされなくなった?)というのが一番の原因の様な気がします。今の世の中で、自分が『素人であることを誇る』という風潮があるのは否定しようのないことです。そういう意味で、ドイツの詩人ニーチェが「神は死んだ」と言ったのと同じ意味で、「プロは死んだ」のかもしれません...。
残念ではありますが、素人であるお客様が、自分の知識やセンスでカラーリングのオーダーをしなければならない程、プロの質が落ちてしまったということに他なりません。
質問の意図とはズレてしまいましたが、要するにトレンドを意識できる様なプロや、ハイセンスな美容師(カラーリスト)は殆どいない、ということでしょう。
その様なことを、1つのロジックとして構築できる、本物のプロの美容師(カラーリスト)を、今後1人でも多く育てていきたいと思っています。
トレンドを意識できる様なプロや、ハイセンスな美容師(カラーリスト)は殆どいないというのは確かに感じる事も多いのですが、、メディアでも取り上げられたりしている美容師像やテレビにでてくる美容師さんて何だか同じ様なイメージと言うか、、かる〜い感じがするというか、、偏った感じは確かにしますよね。
ちょっと脱線ついでに聞いてみたいんですが、なぜトレンドを意識できる様なプロや、ハイセンスな美容師(カラーリスト)が少なくなってきたと考えられますか?
( KW )ファッションやトレンドというものが、その時代時代を写す鏡の様なものであるとするならば、人類が綴ってきた歴史や文化の本流から導き出される『今』という時代をどう評価するのか?そこに、この問題の答えがある様な気がします。ヘアスタイルや服装といった、極めて個人的なことが、実は無意識のレベルでは、それが十分に社会性を表しているという事実。しかも、殆どの人々はその事実に気付かず、ただメディアが作った流行に翻弄されつつ、消費行動へと走る...。もちろん、それが悪いということではありません。例えばハイファッションの世界でも実は同じことが起きているのだと思いますが、その場合はもっと高度に洗練されていて、しかもビジネスライクだということが、大きな違いなのではないでしょうか?そこで、特に多くの日本人に限って言えることは、「私(わたくし)」が抜け落ちていることです。ブランドやトレンドといった言葉の持つイメージが、まるでお題目や呪文の様に一人歩きし、そこに一番重要な『個』である私の存在が無い...。
例えばインターネット。そこでは、独立した個人がネット接続を介して不特定多数と情報を共有しています。1人1人は孤立した個人でありながら、そこでは結果的に集団的総意に基づく行動を見せる、もしくはそういうプレッシャーが存在する。そして、その無意識下での意識が並列化され、ゆるやかな全体の総意を形成している、としたら?またその全体の総意は、ネットに繋がれた多くの個人を規定するために発生するのだとしたら...?
自由な精神や奔放な情熱による創造性(クリエイティビティー)を完全に無視した情報操作やビジネスとしてのトレンドが〝それ〟だとするならば、「コントロールされたトレンド(集団的総意)」に跳び付き、思考を停止した状態で短絡的に消費行動へと走るのは、ある意味当然の結果と言えなくは無い。そういう社会に、ハイセンスな〝個〟としての美容師や、トレンドをキャッチする能力そのものが、もはや不要なのだとすれば、前述の私の問題提起も強ち間違ってはいないということになりますね。
クライアントの髪のカラーの明るさや好み、色味などをどういう風に表現してコミニケーションを取りどの様に提案していくのでしょうか?
( KW )先程も申しました通り、時代の「価値観」や「社会性」を重視しつつ、ここでは『無意識の意識化』を行います。
どういうことかと言いますと、例えば「今日は、何故その服を着てきたのですか?」と問われたら、殆どの一般人は答えに窮してしまいます。
しかし、「今日は、何故〝半袖〟の服を着てきたのですか?」と問われたら「暑いからです」と答えるでしょう。無意識の意識化とは、その様なことです。
より深い部分で、お客様の心理を可視化してさしあげることで、自分でも気付いていない隠れた魅力や形而上の意識を認識し易くする。そうすることで、その人だけのヘアカラーを見つけ出すことが可能となるのです。
人は、地球に住んでいる以上、必ず地球という環境の影響を「無意識下」で受け続けています。その中でも一番解りやすいのは四季(日本に限って言うと)です。季節の移ろいとは、単純に地球と太陽との距離感のことですが、それによって出来る違いは、先程の服の例えの様な、寒い、暑いといったことから、目に見える明るさや空気感の様な感覚的なものまで、かなりの幅があります。
それを1つ1つ丁寧にお話していくことで、だんだんと相手のことが見えてきます(お客様の側からすれば、自分の頭の中が整理されていく感覚に近いはずです)。何故その色を希望するのか?何故そのヘアスタイルを希望するのか?何故このタイミングで来店されたのか?
それらを雑に扱わず、1つ1つを詳らかにすることで、その方にデザインすべきカラーは、自ずと決まってきます。何故なら、同じ日本に産まれた者同士であれば、同じ発想になりやすく、あるキーワードを与えられた時、同じことを連想する確立が高いからです。即ち、『夏』と聞いて連想するモノやイメージは、似ていることが多いですし、そもそも、カラーリストが専門知識として習得している知識や論理は、実は同じ人間であれば、全員が予め先天的に無意識下に持ち合わせている感覚だからなのです。
その様な意味でも、私は殆ど専門用語を使いません。難しい言葉を駆使して「素人(お客様)」を誤摩化すことはできるかも知れませんが、プロとしての自信や確信ある言葉は、平易な言回しを使っても相手にはきちんと伝わるものです。少々言葉での表現が難しいのですが、前述の客観性とお客様個人の主観を、私というプロの観点を通して融合することで、より完成度の高いものを提供する、という感じでしょうか?要するに、考えに考え抜いた末の閃(ひらめ)きとでも言いますか...。結局は「今を意識して生きる」ということなのかも知れませんね。今がどういう時代で、どんな空気感なのか?そういうタイミングで生まれ合わせた必然や縁、といったものを感じ取る能力が、自分以外の人を判断したりカラーリングするのにも役立っていると感じます。
ちょっと質問を変えてコンシュマーなものについて聞いてみたいのですが、今現在、ドラッグストアの陳列棚を見渡すと、本当に多種多様なホームカラー剤が販売されていますが、自宅でセルフカラーを施すのは、プロの目から見てどうなのでしょうか?
( KW )サロンワークのなかで、クライアントから「自分で(お家で)カラーするとダメージするの?」、「ちゃんと染まるの?」という様なことをよく耳にします。
美容師さんの立場を察するに、やはりある程度ホームカラーに対しては否定的な意見が出てしまうのは仕方無いのでしょう。それが、クライアントの前述の質問に反映しているのだ、とも想像できますし...。
皆さんご自分でカラーリングをされる理由は色々だと思いますが、必ずしも「セルフカラー(プロに任せない)=ダメージする、失敗する」とはならないと思います。美容室でのカラーリングもお家でするセルフカラーも、薬剤の選択と使用方法によって違いがでてくるのであって、美容室でのカラーリングの方が優れていて、ドラッグストアに並んでいるホームカラーが劣っている理由にはなりません。
これはあくまでも私の感想ですが、きちんと説明書通りに施術している方の場合だと、サロンでの仕上りよりもずっと良い仕上りになっている事が多いと感じます。逆に、毛先と根本を塗り分けたり、左右で塗布に差が出たり(2人がかりでの塗布)、アシスタント等の技術的に未熟な者に塗布を任せざるを得ない今の美容業界のシステムの問題などで、セルフカラーに遠く及ばない、非常に低品質のカラーリングになっていることも多く見受けられます。
また、全く切口を変えてみますが、例えば一般市場でトップシェアを得ている様なメーカーの物であれば、高価で質の高い材料をふんだんに配合しているので、品質的にもサロンカラーより良いと言えるかも知れませんし、染まる染まらないという判断も極めて主観的な問題の場合が多く、使用したカラー剤のポテンシャルから言っても、十分に染まっているものを、単なる印象で「染まっていない様な気がする」ということが多いのでは?と想像できます。
結論としては、自分の満足が得られるものがより上質なカラーリングとなりますので、サロンで美容師にやってもらうから「上質」なのではなく、セルフカラーであっても、十分に満足できる仕上りであるならば、それは高品質なヘアカラーリングである、と言わざるを得ません。また、その様なフェアーで冷静な判断ができるプロの美容師が少ないことも、前述の迷信(ドラッグストアで買ったカラーは傷む...など)を生み出す温床になっているのではないか?と感じます。プロだろうと素人だろうと、1つの物やサービスの価値判断には、それなりの経験や能力は最低限必要なのではないでしょうか。
そういった意味で、セルフカラー、ホームカラーには賛成です。それらとの圧倒的な違いを出せるからこそ、サロンカラーリングには相応の『価格と価値』が認められているのですから...。
Kiichi Watanabe
日本でのサロン活動後渡米。
NEW YORK でトップサロン勤務後、帰国。のちヘアサロンにて COLORING DIRECTOR を経て「THE SALON」の立ち上げを行う。
その卓越したカラーリングセンスと幅広い知識、経験を背に確固たる哲学を持つテクニックとパーソナリティーには定評があり賛同者が多い。